ラウル2世・ド・クシーとは? わかりやすく解説

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ラウル2世・ド・クシー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 08:45 UTC 版)

ラウル2世・ド・クシー
Raoul II de Coucy
クシー領主
在位 1241年 - 1250年

出生 1211年
フランス王国、クシー
死去 1250年2月8日
アイユーブ朝マンスーラ
配偶者 フィリッパ・ド・ダンマルタン
子女 アンゲラン
家名 クシー家
父親 クシー領主アンゲラン3世
母親 マリー・ド・モンミライユ
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ラウル2世・ド・クシー(Raoul II de Coucy, 1211年 - 1250年2月8日)は、クシー領主アンゲラン3世とマリー・ド・モンミライユの息子[1]。1241年に父の跡を継いでクシー領主となった。

第7回十字軍に参加し、マンスーラの戦いにおいてエジプトで戦死した[2]

ラウル2世はオマール伯シモン・ド・ダンマルタンの娘フィリッパと結婚したが[3]、1子アンゲランは早世し、弟アンゲラン4世が跡を継いだ。

脚注

  1. ^ Richard 1992, p. xxviii.
  2. ^ Jackson 2009, pp. 172–173.
  3. ^ Pollock 2015, p. 145.

参考文献

  • Jackson, Peter, ed (2009). The Seventh Crusade, 1244-1254: Sources and Documents. Ashgate Publishing 
  • Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy, 1204-1296. The Boydell Press 
  • Richard, Jean (1992). Lloyd, Simon. ed. Saint Louis, Crusader King of France. Cambridge University Press 
先代
アンゲラン3世
クシー領主
1241年 - 1250年
次代
アンゲラン4世



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