ラウル1世・ド・トゥアールとは? わかりやすく解説

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ラウル1世・ド・トゥアール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 10:23 UTC 版)

ラウル1世・ド・トゥアール
Raoul I de Thouars
トゥアール副伯
在位 1004年 - 1014年

死去 1014年
配偶者 アランブルジュ
子女 エメリー
ティエリー
オデアルド
家名 トゥアール家
父親 エルベール1世・ド・トゥアール
母親 イルドガルド・ドルネー
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ラウル・ド・トゥアールRaoul I de Thouars, ? - 1014年)は、トゥアール副伯(在位:1004年 - 1014年)。

生涯

ラウルは先代のトゥアール副伯であった父エルベール1世とオルネーフランス語版副伯カドゥロン1世の娘イルドガルドの三男であった。

2人いた実兄エメリー3世とサヴァリー3世の死後、ラウルは1004年にトゥアール副伯位を継承した。ラウルの君主アキテーヌ公ギヨーム5世は、同じく自分の家臣でありラウルと敵対していたリュジニャンユーグ4世の双方が力を付けないよう、二枚舌を駆使しバランスを取る政策を取った。

ギヨーム5世は、ラウルの娘オデアルドとリュジニャン卿ユーグ4世との結婚を阻止しようと、ジョスラン1世・ド・パルトネーの未亡人をユーグ4世の花嫁に薦め差し出した。しかし、ギヨームは自分で花嫁を薦めておきながら、結婚の完遂を阻止したため、トゥアール副伯ラウルとリュジニャン卿ユーグ4世、アキテーヌ公ギヨーム5世の間で三つ巴の戦争が起こった。

ラウルは1014年末、リュジニャン卿ユーグ4世の所領を破壊している最中に死去した。ラウルの次兄サヴァリー3世の長男で甥にあたるジョフロワ2世がトゥアール副伯を継いだ。

結婚と子女

ラウルはアランブルジュ(もしくはアスリーヌ)という名の妻と結婚し、エメリーとティエリーという2男、そして1015年ごろにリュジニャン家ユーグ4世と結婚した娘オデアルドの3子をもうけている。




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