ヨハネス・カイザー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 14:53 UTC 版)
ヨハネス・カイザー | |
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Johannes Kaiser | |
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チリ共和国下院議員 | |
任期 2022年3月11日 – 現在 |
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選挙区 | 第10区 |
個人情報 | |
生誕 | 1976年1月5日(49歳) チリ、サンティアゴ |
国籍 | チリ |
政党 | 国家自由党(2024年–) |
協力政党 | 共和党(2019年–2021年、2022年–2024年) |
配偶者 | イヴェット・アヴァリア・ヴェラ |
子供 | 3人 |
職業 | 政治家、YouTuber |
ヨハネス・マクシミリアン・カイザー・バレンツ・フォン・ホーエンハーゲン(ドイツ語: Johannes Maximilian Kaiser Barents von Hohenhagen, 1976年1月5日 - )は、チリの政治家、YouTuber。極右的な政治スタンスで知られ、国家自由党(Partido Nacional Libertario)の創設者および代表を務めている。かつてはチリ共和党のメンバーでもあり、2022年3月よりチリ共和国下院の第10選挙区(サンティアゴ首都圏)から国会議員を務めている。
複数のメディアにより、「極端な保守主義者」「右翼ポピュリスト」「ピノチェト主義者」「極右政治家」と評されている。また本人は自らを「反動主義者(reaccionario)」と表現している[1]。
経歴
家族と初期の人生
1976年1月5日、チリのサンティアゴにて、弁護士で企業家のフアン・クリスティアン・カイザー・ヴァグナー(Juan Cristián Kaiser Wagner)と、ロスマリー・アンヘリカ・バレンツ・ヘンスゲン(Rosmarie Angelika Barents Haensgen)の長男として誕生。両親は共にドイツ系チリ人である[1][2][3]。
彼の祖父フリードリヒ・エルンスト・カイザー・リヒター(Friedrich Ernst Kaiser Richter)は、1936年にアドルフ・ヒトラーの政権掌握を逃れてドイツのヴュルテンベルクからチリに亡命し、南部のビジャリカに定住。1956年から1957年まで同市の市長を務めた。
両親の離婚後、母親が姓を「バレンツ=フォン・ホーエンハーゲン」に変更し、ヨハネスを含む6人の子どもも同様に姓を変更した。兄弟姉妹には著名な弁護士アクセル・カイザーと政治評論家バネッサ・カイザーがいる。
学歴と職歴
チリ国内のドイツ系学校で教育を受け、リベルタドール・ベルナルド・オイギンス陸軍士官学校で高校を卒業。1995年にはフィニステッラエ大学の法学部に入学するが中退。その後ドイツのハイデルベルク大学で学び、さらにオーストリアのインスブルック大学でも政治学、歴史、法学などを学ぶも、いずれも卒業に至らなかった[4]。
インスブルック在住中は、レストラン経営、自動車販売、建設作業員、ホテルの受付係、FCヴァッカー・インスブルックのスポーツ記者など、さまざまな職種を経験した[5]。
政治的経歴
デジタル活動家としての出発
2013年にYouTubeチャンネル「El Nacional-Libertario」を開設し、保守的・リバタリアン的な内容を配信し始めた。2016年からは定期的に政治番組を配信し、元陸軍准将ミゲル・クラソノフに関するドキュメンタリーも公開した。
2017年からホセ・アントニオ・カストの選挙運動を支援し、2019年には彼の創設したチリ共和党に入党。2021年の総選挙で第10選挙区から下院議員に当選した。
論争と党脱退
2021年には女性参政権を揶揄した過去の発言が物議を醸し、共和党を離党。以後は無所属ながら共和党の会派に属し続け、2022年に再入党するが、2024年1月に再び離党した。理由は党内の意見統一に対する反発であり、憲法改正国民投票で「反対票」を投じたことによる制裁であった[6]。
国家自由党の創設と大統領選への野望

2024年6月、カイザーはチリ選挙管理委員会に国家自由党の結成を届け出た[1]。党は極右的な綱領を掲げ、国境封鎖、ジェンダー政策の撤廃、省庁の削減、治安重視などを主張している。
2025年の大統領選挙に向けて同年2月に出馬表明を行い、当初は右派連合の予備選に参加する意向を示していたが、後に独自候補としての出馬を決定した[7]。
政策と思想
カイザーは自由至上主義、古典的自由主義、社会保守主義を掲げ、国家の最小化と市場の最大化を主張する。特に銃所持の自由、堕胎禁止、移民制限に強い立場を取り、ピノチェト政権を擁護する歴史観を持っている。
また、自身を「反動主義者」と称し、ジェンダー理論やLGBTQ+の権利運動に対して批判的である。
私生活
2022年、UDIのアドバイザーだったイヴェット・アバリア・ヴェラ(Ivette Avaria Vera)と結婚し、2023年には娘が誕生した。前の関係で2人の子どももいる。彼の家族全体が東方正教会に改宗している[8]。
脚注
- ^ a b c ““No somos conservadores, somos reaccionarios”: diputado Kaiser anuncia la creación del Partido Nacional Libertario”. La Tercera (2024年6月11日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Partido Nacional Libertario: ¿Cuáles son los lineamientos del nuevo partido liderado por Johannes Kaiser?” (スペイン語). Duna (2024年6月11日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Con Gonzalo de la Carrera y Gloria Naveillán: el Partido Nacional Libertario, la nueva tienda política que busca formar Johannes Kaiser” (スペイン語). The Clinic (2024年6月11日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Universidad de Innsbruck revela nuevos antecedentes sobre los estudios de Johannes Kaiser”. The Clinic (2022年4月4日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Johannes Kaiser fue periodista de FC Wacker Innsbruck en Austria”. 13c (2024年2月9日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Diputado Johannes Kaiser renuncia al Partido Republicano acusando “degradación” a su gestión como parlamentario”. La Tercera (2024年1月10日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “"Yo voy a ser precandidato presidencial": Diputado Kaiser asegura que quiere participar en una primaria de la derecha”. Emol (2024年2月19日). 2025年4月10日閲覧。
- ^ “Los católicos ortodoxos celebramos la Pascua de Resurrección. ¡Cristo resucitó! ¡En verdad resucitó!”. Twitter (2024年5月4日). 2025年4月10日閲覧。
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