ミンスク県 (ポーランド・リトアニア共和国)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/02 09:48 UTC 版)
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年1月) |
ミンスク県 / ミンスカス県(ポーランド語: Województwo mińskie / リトアニア語: Palatinatus Minscensis)は、ミンスクを行政中心地とする、リトアニア大公国、のちにポーランド・リトアニア共和国の県である。1566年にリトアニア大公国の行政単位として成立し、1569年のルブリン合同後もポーランド・リトアニア共和国の行政区として存続するが、1793年の第2次ポーランド分割までに帝政ロシアに割譲されて消滅した。
- (注釈)本項の地名はリトアニア語・ポーランド語を用いているが、現在はベラルーシ・ウクライナ・ロシアに所属し、それぞれの言語での名称が用いられる地名が多数ある。詳しくは注釈の「関連地名対応表」を参照されたし。
歴史
本県は1566年のリトアニア大公国の行政改編によって区分された県であり、成立当初は、ミンスカス(ミンスク)郡(ru)、Rečyca郡(ru)の二郡から成っていた[注 1]。1569年のルブリン合同でポーランド王国とリトアニア大公国が連合王国となると、ポーランド領のキユフ県からMozyrz郡(ru)が編入された。
ポーランド・リトアニア共和国の成立後、ミンスク県は南西でBrześć県(ru)、西はノヴォグルデク県、北西はWilno県(ru)、北はポウォツク県、北東はヴィテプスク県、東はムシチスワフ県と接した。また、南東から南にかけてはキユフ県と接しており、17世紀の一時期はスモレンスク県、Czernihów県(ru)が設置されて、両県と接した期間があった。
1772年の第1次ポーランド分割によってRečyca郡が、第2次ポーランド分割によって残る全県が帝政ロシア領となり、ポーランド・リトアニア共和国のミンスク県は消滅した。
行政の長
注釈
| ポーランド語 | リトアニア語 | ベラルーシ語 | ウクライナ語 | ロシア語 |
|---|---|---|---|---|
| ミンスク | ミンスカス | ミンスク | ||
| Rečyca | レチツァ | |||
| Mozyrz | マズィル | |||
| キユフ | キイウ | (キエフ) | ||
| Brześć | ブレスト | |||
| Nowogródek | ナヴァフルダク | |||
| Wilno | ヴィリニュス | |||
| ポウォツク | ポラツク | |||
| Witebsk | ヴィツェプスク | |||
| Mścisław | ムスツィスラウ | |||
| スモレンスク | スモレンスク | |||
| Czernihów | チェルニーヒウ |
出典
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P721
参考文献
- Wolff J. Senatorowie i dygnitarze Wielkiego Księstwa Litewskiego 1386—1795. — Kraków, 1885. — S. 24—28.
- ミンスク県_(ポーランド・リトアニア共和国)のページへのリンク