マリカ・ウッザマーニー・ベーグムとは? わかりやすく解説

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マリカ・ウッザマーニー・ベーグム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 17:54 UTC 版)

マリカ・ウッザマーニー・ベーグム
Malika-uz-Zamani Begum
ムガル帝国后妃
マリカ・ウッザマーニー・ベーグム
出生 1703年
デリー
死去 1789年9月21日以前
デリー
配偶者 アフマド・シャー
子女 シャフリヤール・シャー
父親 ファッルフシヤル
母親 ファフルンニサー・ベーグム
宗教 イスラーム教スンナ派
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マリカ・ウッザマーニー・ベーグム(Malika uz-Zamani Begum, 1703年 - 1789年9月21日以前)は、北インドムガル帝国の第12代皇帝アフマド・シャーの妃。パードシャー・ベーグム(Padshah Begum)、バードシャー・ベーグム(Badshah Begum)とも呼ばれる。

生涯

1703年ムガル帝国の第9代皇帝ファッルフシヤルの娘として、デリーで生まれた[1]

1721年12月9日、第12代皇帝ムハンマド・シャーと結婚し、最初の妃となった[1]。皇帝との間には息子シャフリヤール・シャーをもうけたが、1724年7月19日に死去した[1]

1754年6月、第14代皇帝アーラムギール2世の即位に際し、マリカ・ウッザマーニーの継子である第13代皇帝アフマド・シャーが廃位され、盲目にされた[2]。以降、マリカ・ウッザマーニーはアーラムギール2世とその息子で第15代皇帝シャー・アーラム2世に恨みを持ち、アフマド・シャーの息子ビーダール・バフトを帝位につけようと考えるようになった[2]

1787年7月、皇帝シャー・アーラム2世を支えていた摂政・軍総司令官のマハーダージー・シンディアラールソートの戦いでラージプートに敗北を喫したため、失脚した。 その後、マリカ・ウッザマーニーは帝国に恨みを持っていたローヒラー族の族長グラーム・カーディル・ハーンと結び、彼女はグラーム・カーディル・ハーンに協力金として120万ルピーを支払った[2]

1788年7月18日、グラーム・カーディル・ハーン率いるローヒラー族の軍はデリーを占領し、デリー城内とその周辺に4,000の部下を配置して、皇帝と皇子の武器を奪った[2]。その後、7月30日にシャー・アーラム2世を廃し、ビーダール・バフトを「ジャハーン・シャー」の名で帝位につけ、[2][3]

だが、グラーム・カーディル・ハーンは暴虐の限りを尽くし、ついには協力関係にあったマリカ・ウッザマーニーとジャハーン・シャーにも財宝の引き渡しを求めた[4]。マリカ・ウッザマーニーが「これ以上引き渡す財宝はない」と言うと、グラーム・カーディル・ハーンは後宮に部下を送り込み、女性の衣服を剥ぎ取り、床を掘り起こし、壁を破壊してまで財宝を探させた[4]

しかし、2ヶ月後、グラーム・カーディル・ハーンの軍に食糧不足が起こり、そのうえマハーダージー・シンディアの率いる軍が近づいてきたため、10月2日に彼は略奪した2億5000万ルピーもの財宝とともにデリーから撤退した[4]。その翌日、シンディア家の軍がローヒラー族の軍と入れ替わる形でデリーに入り、シャー・アーラム2世を保護した[4]

シャー・アーラム2世が玉座に舞い戻った結果、ジャハーン・シャーは投獄され、1789年に処刑された。マリカ・ウッザマーニーもまたこの年の9月21日までに死亡している[1]

脚注

  1. ^ a b c d Delhi 11
  2. ^ a b c d e ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.262
  3. ^ Delhi 12
  4. ^ a b c d ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.263

参考文献

  • フランシス・ロビンソン; 月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206 - 1925)』 創元社、2009年 

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