マリアアンナヨーゼファフォンエスターライヒ_(1654-1689)とは? わかりやすく解説

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マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1654-1689)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 06:25 UTC 版)

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マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
Maria Anna Josefa von Österreich

出生 1654年12月30日
神聖ローマ帝国
帝国自由都市レーゲンスブルク
死去 (1689-04-14) 1689年4月14日(34歳没)
神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーン
埋葬 神聖ローマ帝国
オーストリア大公国ウィーンカプツィーナー納骨堂
配偶者 後のプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム
家名 ハプスブルク家
父親 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世
母親 エレオノーラ・マグダレナ・ゴンザーガ
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マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ(Maria Anna Josepha von Österreich, 1654年12月30日 - 1689年4月14日)は、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムの最初の妃。

生涯

神聖ローマ皇帝フェルディナント3世と3人目の皇后エレオノーラ・マグダレナ・ゴンザーガの間に生まれた。フェルディナントにとっては三女にあたり、同母姉にポーランド王妃、のちロレーヌ公妃となったエレオノーレ・マリアがいる。

1678年、プファルツ選帝侯の世子ヨハン・ヴィルヘルムと結婚した。2度男児を出産したがいずれも夭折した。夫が選帝侯位に就く前年である1689年に死去した。




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