ペレグリン・バーティー (第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵)とは? わかりやすく解説

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ペレグリン・バーティー (第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 06:10 UTC 版)

グリムスソープ城英語版、2012年撮影。

第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティー英語: Peregrine Bertie, 2nd Duke of Ancaster and Kesteven1686年4月29日1742年1月1日)は、イギリスの貴族、政治家。1686年から1704年までペレグリン・バーティー閣下、1704年から1715年までウィロビー・ド・アーズビー男爵、1715年から1723年までリンジー侯爵儀礼称号を使用した。

生涯

初代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ロバート・バーティーと1人目の妻メアリー(Mary、旧姓ウィン(Wynn)、1689年9月20日没、第4代準男爵サー・リチャード・ウィン英語版の娘)の次男(長男ロバートは1704年に死去)として、1686年4月29日に生まれた[1][2]

1708年イギリス総選挙において、リンカンシャー選挙区英語版で当選して庶民院議員になり、父がホイッグ党に転じたものの自身はトーリー党に留まった[3]。以降1710年イギリス総選挙1713年イギリス総選挙でも再選を果たしたが、1715年イギリス総選挙では出馬しなかった[3]。同1715年3月16日、繰上勅書により父からウィロビー・ド・アーズビー男爵位を継承して貴族院議員になった[3]

1719年から1727年までジョージ1世寝室侍従英語版を務め、1723年7月26日には父の死去に伴いアンカスター=ケスティーヴァン公爵の爵位とリンカンシャー統監英語版式部卿の職を継承した[3]。同時にアーズビーとグリムスソープ城英語版の領地も継承した。

1728年から1742年に死去するまでランカスター公領の地代収入役を務め、1734年から1742年に死去するまで北トレント巡回裁判官英語版を務めた[3]。1739年に創設された捨子養育院英語版の初代総裁の1人でもあった[4]

1742年1月1日に死去、13日にエデナム英語版で埋葬された[1]。長男ペレグリンが爵位を継承した[2]

家族

1711年6月、ジェーン・ブラウンロー(Jane Brownlow、1736年8月26日没、第3代準男爵サー・ジョン・ブラウンロー英語版の娘)と結婚[1]、3男4女をもうけた[5]

  • ペレグリン(1714年 – 1778年8月12日) - 第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵[1]
  • アルベマール(1765年5月16日没) - 生涯未婚
  • ブラウンロー(1729年5月1日 – 1809年2月8日) - 第5代アンカスター=ケスティーヴァン公爵[1]
  • メアリー(1774年5月23日没) - 1748年2月21日、サミュエル・グレートヘッド(Samuel Gretehead)と結婚、子供あり[5]
  • アルビニア(Albinia、1754年2月12日没) - 1744年、フランシス・ベックフォード(Francis Beckford、ピーター・ベックフォードの息子)と結婚、子供なし[5]
  • ジェーン(1793年8月21日没) - 1743年3月31日、エドワード・マシュー英語版と結婚、子供あり[5]
  • キャロライン(1774年6月4日没) - 1753年6月12日、ジョージ・デウォー(George Dewar)と結婚、子供あり[5]

脚注

  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 127–128.
  2. ^ a b Burke's Peerage (英語) (99th ed.). 1949. p. 52.
  3. ^ a b c d e Watson, Paula; Gauci, Perry (2002). "BERTIE, Peregrine, Lord Willoughby de Eresby (1686-1742)". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年2月18日閲覧
  4. ^ A Copy of the Royal Charter Establishing an Hospital for the Maintenance and Education of Exposed and Deserted Young Children (英語). p. 4.
  5. ^ a b c d e Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 1498.
グレートブリテン議会英語版
先代
アルベマール・バーティー英語版
ジョージ・ウィッチコット
庶民院議員(リンカンシャー選挙区英語版選出)
1708年1715年
同職:ジョージ・ウィッチコット 1708年 – 1710年
ルイス・ダイモック 1710年 – 1713年
サー・ジョン・ブラウンロー準男爵 1713年 – 1715年
次代
サー・ウィロビー・ヒックマン準男爵英語版
サー・ジョン・ブラウンロー準男爵
公職
先代
初代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
式部卿
1723年 – 1742年
次代
第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
名誉職
先代
エドワード・ラッセル卿英語版
カーナーヴォンシャー主席治安判事英語版
1714年 – 1739年
次代
サー・ウィリアム・ヤング準男爵英語版
先代
初代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
リンカンシャー統監英語版
1724年 – 1742年
次代
第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
司法職
先代
初代リミントン子爵
巡回裁判官英語版
北トレント

1734年 – 1742年
次代
第4代カーディガン伯爵
グレートブリテンの爵位
先代
ロバート・バーティー
アンカスター=ケスティーヴァン公爵
1723年 – 1742年
次代
ペレグリン・バーティー
イングランドの爵位
先代
ロバート・バーティー
ウィロビー・ド・アーズビー男爵
繰上勅書により)

1715年 – 1742年
次代
ペレグリン・バーティー



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