ベウミーロ・デ・アルメイダとは? わかりやすく解説

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ベウミーロ・デ・アルメイダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:02 UTC 版)

ベウミーロ・デ・アルメイダ
Belmiro de Almeida
自画像
生誕 1858年5月22日
セロ(Serro)
死没 1935年6月12日
パリ

ベウミーロ・デ・アルメイダ(Belmiro Barbosa de Almeida、1858年5月22日1935年6月12日)はブラジルの画家、イラストレーター、彫刻家である。

略歴

ミナスジェライス州のセロ(Serro)に生まれた。リオデジャネイロの工芸学校(Liceu de Artes e Ofícios)で学んだ後、リオデジャネイロのブラジル帝国美術アカデミー(Academia Imperial de Belas Artes)でアゴスティーニョ・ジョゼ・ダ・モタジョアン・ゼフェリーノ・ダ・コスタに学んだ[1]

1880年代の後半にローマパリに修行に出て、パリの私立の美術学校、アカデミー・ジュリアンジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学び[1]、パリの展覧会に出展した。パリでの生活に魅せられて、パリとリオデジャネイロを行き来する生活を始めた。ブラジルでは1893年から1896年の間、ペドロ・ヴァインゲルトナーの後任として国立芸術学校 (Escola Nacional de Belas Artes、後にリオデジャネイロ連邦大学の一部となる)の教授を務めた[2] 。1916年には人物画部門の教授になった。

ブラジルの雑誌に挿絵や、人物の似顔絵(カリカチュア)を提供し、彫刻家としては、後にサッカークラブ、ボタフォゴFRのマスコットのモデルとなる彫像を作ったことでも知られている。

第一次世界大戦の後、パリに住むが[2]、ブラジル全国美術展(Exposições Gerals de Belas Artes)に参加を続け、1921年に大賞を受賞した。

1935年にパリで没した。

作品

参考文献

  1. ^ a b Brief biography @ the Enciclopédia Itaú Cultural.
  2. ^ a b Info Escola: Brief biography.

関連文献

  • José Maria dos Reis Júnior, Belmiro de Almeida, 1858-1935, Edições Pinakotheke, 1984



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