ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェンとは? わかりやすく解説

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ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 06:38 UTC 版)

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ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェン
Beatrix von Hohenstaufen
神聖ローマ皇后
在位 1212年7月22日 - 8月11日

出生 1198年4月/6月
神聖ローマ帝国ヴォルムス
死去 1212年8月11日(14歳没)
神聖ローマ帝国ノルトハウゼン
埋葬 神聖ローマ帝国、ブラウンシュヴァイク大聖堂
結婚 1212年7月22日 ノルトハウゼン
配偶者 神聖ローマ皇帝オットー4世
家名 ホーエンシュタウフェン家
父親 神聖ローマ皇帝フィリップ
母親 イレーネー・アンゲリナ
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ベアトリクス・フォン・ホーエンシュタウフェン(Beatrix von Hohenstaufen)またはベアトリクス・フォン・シュヴァーベン(Beatrix von Schwaben, 1198年4月/6月 - 1212年8月11日)は、神聖ローマ皇帝オットー4世の皇后。

生涯

父はシュヴァーベン公・神聖ローマ皇帝フィリップ、母は東ローマ皇女イレーネー・アンゲリナ。妹エリーザベトカスティーリャフェルナンド3世の妃。

1208年の父の暗殺後、父の競争相手だったオットーが神聖ローマ皇帝に選ばれ、その地位をより強固にするため、1209年に先帝の娘であるベアトリクスと婚約した。

1212年7月22日結婚。オットー37歳、ベアトリクスは14歳だった。結婚後間もなく病となり、結婚から19日たった同年8月11日に亡くなった。子供はなかった。

ブラウンシュヴァイガー・ドムにあるベアトリクスの墓所




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