プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ_(紀元前279年の執政官)とは? わかりやすく解説

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プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ (紀元前279年の執政官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/23 21:58 UTC 版)

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プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ
P. Sulpicius P.f. Ser.n. Saverrio
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 スルピキウス氏族
官職 執政官(紀元前279年)
指揮した戦争 アスクルムの戦い(紀元前279年)
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プブリウス・スルピキウス・サウェッリオラテン語: Publius Sulpicius Saverrio、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前279年執政官(コンスル)を務めた。

出自

パトリキ(貴族)であるスルピキウス氏族の出身。父は紀元前304年の執政官プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ、祖父のプラエノーメン(第一名、個人名)はセルウィウスである。

経歴

紀元前279年、サウェッリオは執政官に就任。同僚執政官はプブリウス・デキウス・ムスであった。この年はピュロス戦争の2年目で、前年にローマ軍はヘラクレアの戦いで敗北していた。サウェッリオは同僚執政官のムスと共に、軍を率いてピュロスに向かった[1]。しかし、アスクルムの戦いでローマ軍は再びピュロスに敗北する。もっともピュロスも大損害を受け[2]ピュロスの勝利」という慣用句が生まれた。

サウェッリオのその後に関しては不明である。またスルピキウス・サウェッリオ家の人物も、その後歴史に現れない。

脚注

  1. ^ エウトロピウス『首都創建以来の略史』、II, 13, 4.
  2. ^ R. Svetlov. pp. 242 - 248.

参考資料

  • エウトロピウス『首都創建以来の略史』
  • R. Svetlov. Pyrrhus and the military history of his time. St. Petersburg, 2006.

関連項目

公職
先代:
プブリウス・ウァレリウス・ラエウィヌス
ティベリウス・コルンカニウス
執政官
同僚:プブリウス・デキウス・ムス
紀元前279年
次代:
ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス
クィントゥス・アエミリウス・パプス



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