フローレス島事件とは? わかりやすく解説

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フローレス島事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 22:58 UTC 版)

フローレス島事件(フローレスとうじけん)は、1944年4月に、日本軍政下にあったジャワ島スマランで、警察・憲兵隊が、オランダ系住民の抑留所の外で暮らしていたオランダ系住民を含む現地の女性約100人を集めて20人を選び出し、その2ヵ月後に罹病・逃亡した3人を除く17人をフローレス島の慰安所へ連行し、売春を強制した事件。[1]


  1. ^ この記事の主な出典は、山本 & ホートン (1999, p. 118)、ヒックス (1995, pp. 54-55)、オランダ政府 (1994, p. 53)および朝日新聞 (1992d)(朝日新聞社が入手したオランダ軍バタビア法廷の戦犯裁判記録による。以下同じ)。
  2. ^ a b c d e f g h i 山本 & ホートン 1999, p. 118.
  3. ^ a b c d e f g h i オランダ政府 1994, p. 53.
  4. ^ a b c d e f g 朝日新聞 1992d.
  5. ^ ヒックス (1995, pp. 54-55)にある女性の証言では、バタビアで。
  6. ^ a b c d e ヒックス 1995, pp. 54-55.
  7. ^ a b c d ヒックス 1995, p. 54.
  8. ^ 山本 & ホートン (1999, p. 118)では、連行してから警察に出頭するよう命令したとしている。
  9. ^ 朝日新聞 (1992d)では「約100人のオランダ女性」としているが、後段で、選別された女性の中にはインドネシア人・中国人も含まれていた、としている。
  10. ^ 山本 & ホートン (1999, p. 118)では、以前にホテルやレストランで働いたことがあると思われた女性は、警察や憲兵から「不人気」だった、としている。
  11. ^ 前金の受取り拒否についてはヒックス (1995, pp. 54-55)にも言及がある。
  12. ^ ヒックス (1995, pp. 54-55)では、バタビアでの選考・検査の後、スマランに移されて「スマラン倶楽部」での売春を強要された、としており、朝日新聞 (1992d)では、スマランからバタビアへ移され、約1ヵ月間監禁された、としている。
  13. ^ オランダ人7人、インドネシア人10人(吉見 1995, p. 189)
  14. ^ ヒックス (1995, p. 54)。フローレス島の飛行場にある慰安所へ送られた、としている。
  15. ^ 吉見 1995, p. 189.
  16. ^ 朝日新聞 (1992d)では、「日本軍の敗戦時近くまで」


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