フランシス・グリーンウェイとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > デザイナー > 建築家 > イギリスの建築家 > フランシス・グリーンウェイの意味・解説 

フランシス・グリーンウェイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/25 22:09 UTC 版)

フランシス・グリーンウェイ

フランシス・グリーンウェイ(Francis Howard Greenway、1777年11月20日 - 1837年9月)は、イギリス生まれの建築家囚人として流刑先のオーストラリアなどイギリス植民地で活躍した。 イギリス・ブリストル生まれ。

経歴

  • 1777年、ブリストル近郊の石工や建築家の家族に生まれる。兄弟で建築設計事務所を主宰していたが、ナポレオン戦争での不況により、倒産回避のため契約書改ざんを図る。
  • 1812年、文書偽造のために逮捕、死刑宣告をうけるが、その後オーストラリアニューサウスウェールズ植民地への懲役14年流刑に処される。
  • 1814年、シドニー着後、執行猶予により、建築家としての仕事を再開。
  • 1815年、ハーバー・ブリッジ案を提案、公共事業へ参画しはじめる。
  • 1816年、時の総督ラックラン・マッコーリーから、公共事業担当の建設副監督官に任命される。
  • 1818年、サウス・ヘッド灯台を手がけ、この功績で仮赦免を受ける。
  • 1819年、囚人宿舎の設計により特赦を受け、自由の身となる。
  • 1822年、報酬等でマッコーリーとの見解の相違をうけ、イギリス政府から通達によって職を解かれる。植民地での職人に対する技術向上を目的に、到達度別に呼応した支払手法の導入を主張していたとされる
  • 1837年、ハンター・ヴァリーの自宅で死去

代表作

現存しているもののうち、改築されているものもある。

  • リバプール・セント・ルークス教会
  • 総督官邸・馬小屋(1816年から1821年)現ニューサウスウェールズ音楽堂・音楽院(Conservatorium of Music)
  • ハイド・パーク・バラックス(囚人宿舎、1817年から1819年、パラマタ女性就業工場)
  • サウス・ヘッドの灯台(1818年)
  • セント・ジェームズ教会(St. James Church、1819年から1824年)
  • ウィンザー・セント・マシューズ教会(聖マタイ英国国教会 St Matthew’s Anglican Church)
  • キャンベル邸
  • 最高裁判所(1820年から1828年)
  • セント・トーマス・アングリカン教会(1828年)

外部リンク

その他

  • スタイルは当時流行のジョージアン様式であったが、オーストラリアの風土に適するデザインを用いた。
  • オーストラリアで最初に発行された10ドル紙幣の肖像に採用されている。
  • オーストラリア最高峰の建築賞の名として、ジョン・サルマンとともに「サルマン・アンド・フランシス・グリーンウェイ賞」と名づけられている。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランシス・グリーンウェイ」の関連用語

フランシス・グリーンウェイのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランシス・グリーンウェイのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランシス・グリーンウェイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS