フェルディナンド・シレンとは? わかりやすく解説

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フェルディナンド・シレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/22 15:38 UTC 版)

フェルディナンド・シレン
Ferdinand Schirren
生誕 1872年8月27日
ベルギー,アントウェルペン
死没 1944年2月19日
ベルギー、ブリュッセル
シレン作「岸近くの帆船」(c.1920)

フェルディナンド・シレン(Ferdinand Schirren、1872年8月27日 - 1944年2月19日)はラトビア出身のユダヤ人の両親を持つベルギーの画家・彫刻家である。美術家のキャリアを彫刻家として始めたが、前衛的な水彩画を描き、リック・ウォータースとともに「ブラバント・フォービズム(Fauvisme brabançon)」を代表する画家の一人となった。

略歴

アントウェルペンで職人の息子に生まれた。両親はラトビアオデッサ出身のユダヤ人で、1864年に結婚した後、アントウェルペンに移住した。フェルディナンド・シレンが生まれた後、家族はアンデルレヒトに移った。

1884年から1885年の間、アンデルレヒトの絵画学校の夜間コースで学んだ後、1887年からブリュッセル王立美術アカデミーで絵画を4年間学んだ後、1年間、彫刻を学んだ。ブリュッセルの教師には画家のジョゼフ・スタラールトらがいる。アカデミーを卒業した後、「20人展」の招待メンバーである彫刻家のジェフ・ランボー(Jef Lambeaux: 1852-1908)のもとで働いた。1896年から独立して作品を出展するようになり、ブリュッセルの美術家グループ「Labeur」のグループ展に彫刻を出展するようになったが1902年の展覧会に出展された作品が厳しい批評を受け、彫刻を離れ、絵画に活動分野を移した。

1910年代に、ディナンド・シレンはリック・ウォータースとともに、「ブラバント・フォービズム(Fauvisme brabançon)」と呼ばれる美術運動の代表的芸術家の1人になった。1912年に個展が開かれた。1914年から1921年までパリで活動した。晩年は静物画を主に描いた。

ユダヤ人であったので、第二次世界大戦中は家族とシント=アガタ=ベルシェムの別荘に匿われていたが、1944年2月19日に心臓麻痺で倒れ、ブリュッセルで没した。

息子のフェルナン・シレン(Fernand Schirren:1920-2001)は音楽家になった。

作品

参考文献

  • Schirren, Ferdinand. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 30: Scheffel–Siemerding. E. A. Seemann, Leipzig 1936, S. 90–91.
  • Schirren, Ferdinand. In: Dictionnaire des peintres belges



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