フィリップ・ド・ベルジック (フランドル伯)とは? わかりやすく解説

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フィリップ・ド・ベルジック (フランドル伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 03:26 UTC 版)

フィリップ・ド・ベルジック
Philippe de Belgique
サクス=コブール・エ・ゴータ家
フランドル伯フィリップ(1863年)

全名
称号 フランドル伯
出生 (1837-03-24) 1837年3月24日
ベルギーラーケン、ラーケン宮殿
死去 (1905-11-17) 1905年11月17日(68歳没)
ベルギーラーケン、ラーケン宮殿
埋葬 ベルギーラーケンノートルダム・ド・ラーケン教会
配偶者 マリー・ド・オーエンゾレン=シグマリンゲン
子女
父親 レオポルド1世
母親 ルイーズ=マリー・ドルレアン
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フィリップ・ド・ベルジックフランス語: Philippe de Belgique, 1837年3月24日 - 1905年11月17日)は、ベルギーの王子。フランドル伯

生涯

ベルギー国王レオポルド1世と、王妃ルイーズ=マリーの三男としてラーケン宮殿英語版で生まれた。1840年12月14日、父王よりフランドル伯とされた。

1867年、ホーエンツォレルン=ジクマリンゲン家出身のマリー・ルイーズと結婚。2男3女をもうけた。

兄王レオポルド2世が長男のブラバント公レオポルドを失うと、フィリップが代わって王位継承順位第1位の立場となった。以降も兄王に嫡出の男子は出来なかったため、王位継承順位第1位の地位を保持し続けたが、1905年に兄王に先だってラーケン薨去した。王位継承権第1位はフィリップの次男アルベールとなり(長男ボードゥアンはすでに薨去)、のちアルベール1世として即位した。




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