ファムドゥ・コナテとは? わかりやすく解説

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ファムドゥ・コナテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/09 07:36 UTC 版)

ファマドゥ・コナテ(Famoudou Konaté)はギニア共和国出身のマリンケ族のマスタードラマーである。 彼はジェンベとジェンベオーケストラの巨匠である。 彼はマリンケ族の太鼓伝統文化の中で正式に認められた数少ないマスターの一人であり、世界的にも最も優れたジェンベマスターの一人として広く尊敬されている。 彼は生涯をかけて自らの民族の音楽を演奏・保存し、ジェンベオーケストラを伝統的なルーツから世界的な人気へと高めることに貢献した。

ファマドゥは1940年にギニアの上ギニア地方、ハマナ地域のサンバララ村近くに生まれた。この地域はマリンケ族の中心地であり、ドゥンドゥンバ系統のリズムの発祥地である。 1959年から1985年まで、ファムドゥは 「ギニア共和国国立舞踊団バレエ・アフリカン(Les Ballets Africans)」 のリード・ジェンベ奏者を務め、世界中をツアーして驚異的な技巧を披露した。 この間に、彼自身が編曲した多くの楽曲が、今日の世界中の 西アフリカ音楽グループで一般的に演奏されるようになった。

1986~87年、コナテは独立した指導者としての活動を始めた。同時にまだコナクリの「バレエ・アフリカン(Les Ballets Africans)」にも所属していた。 ドイツのラレ・ドミニク、フランスのアラン・ブラマーとミシェル・ウィーレンが1986年からの最初の弟子である。 彼らと共にファムドゥの生誕地上ギニア地域クルサ県サンバララ村を訪れ、最初のテープ録音を行いヨーロッパに持ち帰った。 1987年にはライナー・ドレルとヨハネス・ベーアがコナクリに渡った。 1988年にはヨハネス・ベーアはファムドゥ・コナテをドイツに招聘し、「アンサンブル・モダン」を結成した。 その年末、ベルリンで「Famoudou Konaté Ensemble」が結成され、ベルリンの伝説的ドラミングデュオ「ジャンベ・トゥバブ」(シルヴィア・クローネヴァルトとポール・エンゲル)によって運営された。 2000年には「シカゴ・ジャンベ・プロジェクト」に招かれ、初めて独立したアーティストとしてアメリカ合衆国に渡った。 リリアン・フリードバーグとジム・バンクスの企画の下、2000~2004年にかけて全米ツアーを行い、北米の音楽シーンに定着した。 現在もファムドゥはヨーロッパ、日本、イスラエル、北米、西アフリカで毎年演奏と指導を行い、多くの非アフリカ人打楽器奏者に高度な訓練を与えている。 1996年にはベルリン芸術大学から「アフリカ音楽実践教育学の名誉教授」の称号を授与された。 彼は最新のCD 「 Hamana Namun」を含む8枚のCDを発表している。




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