ハインリヒ・エッデリーンとは? わかりやすく解説

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ハインリヒ・エッデリーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 23:29 UTC 版)

ハインリヒ・エッデリーン
Heinrich Eddelien
エッデリーン作「難破したオデュッセウスに衣服を運ぶ王女ナウシカア
生誕 1802年1月22日
グライフスヴァルト
死没 (1852-12-24) 1852年12月24日(50歳没)
Stuer(現ドイツ、メクレンブルク=フォアポンメルン州

ハインリヒ・エッデリーン(Matthias Heinrich Elias Eddelien、1802年1月22日 - 1852年12月24日)はドイツ系のデンマークの画家である。

略歴

当時スウェーデン領であったグライフスヴァルトの大工の息子に生まれた。1821年にデンマーク王立美術院に入学し、「デンマーク黄金時代」と呼ばれる時代の中心的な画家、クリストファー・エカスベアに学んだ。1833年、1837年に王立美術院の金賞を獲得して、1839年から4年間の留学資金を与えられ、イタリア、ドイツに留学した。

イタリアではキリスト教美術の再興をめざしてウィーンの美術アカデミーの学生が創立した、「聖ルカ兄弟団」(後にナザレ派と呼ばれるようになる)の若い芸術家たちと交流し、古代神話や聖書の物語を題材に絵画を描いた。ベルテル・トーヴァルセンを中心とするローマを訪れていた多くのデンマーク芸術家のサークルのなかで過ごし、トーヴァルセンの影響も受けた。

建築における装飾画も描き、学生時代からコンスタンティン・ハンセンとともに、個人の邸宅の装飾を行い、1835年からはアマリエンボー宮殿の国王の寝室の装飾画を描いた。その他、クリスチャンスボー城の、壁画、天井の装飾画を描いたが、これらは1884年の火事によって失われた。

作品

参考文献




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