ナウ・ニハール・シング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/29 16:30 UTC 版)
ナウ・ニハール・シング Nau Nihal Singh |
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シク王 | |
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ナウ・ニハール・シング
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在位 | 1839年 - 1840年 |
戴冠 | 1839年10月8日 |
別号 | マハーラージャ |
出生 | 1821年10月8日 ラホール |
死去 | 1840年11月6日 ラホール、ラホール城 |
王朝 | スケルチャキア朝 |
父親 | カラク・シング |
母親 | チャーンド・カウル |
宗教 | シク教 |
ナウ・ニハール・シング(Nau Nihal Singh, 1821年10月8日 - 1840年11月6日)は、北インドのパンジャーブ地方、シク王国の君主(在位:1839年 - 1840年)。
生涯
1821年3月9日、シク王国の君主(このときはまだ君主ではない)カラク・シングの息子として生まれた[1]。
1839年10月8日、父であるカラク・シングを廃位、投獄したことで、息子であるナウ・ニハール・シングが即位した[2]。
1840年11月6日、ナウ・ニハール・シングは前日に死んだ父の葬儀からラホール城へと帰還した際、門の修理をしていた石工が落とした岩が頭に激突して死亡した[3]。
ギャラリー
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出典・脚注
関連項目
- シク王国
- スケルチャキア・ミスル
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