ディミトリ (アレクサンドレ1世の子)とは? わかりやすく解説

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ディミトリ (アレクサンドレ1世の子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 01:11 UTC 版)

ディミトリ
დიმიტრი

出生 1413年ごろ
死亡 1456年
王室 バグラティオニ家グルジア語版
父親 アレクサンドレ1世
母親 ドゥランドゥフティwikidata
配偶者 グルシャリグルジア語版
子女
コンスタンティネ
信仰 ジョージア正教会
親署
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ディミトリグルジア語: დიმიტრიグルジア語ラテン翻字: Dimitri1413年ごろ – 1453年)は、バグラティオニ朝グルジア語版ジョージア王国の王族。ジョージア王アレクサンドレ1世の第二王子。1433年から1442年まで父アレクサンドレの副王を務め、1442年から1446年までは兄ヴァフタング4世の副王を務めた。兄ヴァフタングの没後、ディミトリは“規則上”のジョージア王となったが、戴冠は弟ギオルギ8世により妨げられた。

生涯

ディミトリの名が初めて登場するのは、1413年の勅許状である。18世紀に歴史学者ヴァフシティ・バグラティオニが編纂した歴史書では、ディミトリはギオルギ8世の弟であるという、間違った記述がなされている。また多くの文献では、ディミトリは歴代のジョージア王の一覧から除外されている。ディミトリは1433年に父アレクサンドレから副王として任命された。ディミトリはティムール朝シャー・ルフのもとに、大使として派遣された[1]

1442年に父アレクサンドレがジョージアの王位を第一王子ヴァフタングに譲った後も、ディミトリは引き続き副王であり続けた。またアレクサンドレの第三王子ギオルギカヘティグルジア語版の副王となった。1446年に兄ヴァフタングが没すると、ディミトリは“規則上”、ジョージア王に就任することとなったが、弟ギオルギがこの王位を奪った。ここから内紛が始まり、最終的にジョージア連合王国の分裂につながった。15世紀末、ディミトリはジョージア西部のイメレティグルジア語版に隠居した。1453年、ディミトリは狩猟中に馬の事故で死亡した[1]

家族

ディミトリは1446年にイメレティ公デメトレ1世の娘グルシャリグルジア語版と結婚した。19世紀のフランスの東洋学者マリー=フェリシテ・ブロッセフランス語版によると、結婚時期は1446年以降であり、グルシャリはジョージア王コンスタンティネ1世の第二王子ギオルギフランス語版(ディミトリの父方の叔父)と死別した後の再婚であった。グルシャリは1471年または1475年ごろに死去。ディミトリとグルシャリの息子コンスタンティネは、ジョージア連合王国最後の王(1478年–1490年)であり、カルトリ王国初代の王(1490年–1505年)でもあった[1]

歴史学者ヴァフシティ・バグラティオニによると、ディミトリにはコンスタンティネの他に、もう一人の息子ダヴィトがいたと述べている。ダヴィトは1465年にカヘティの貴族たちから王として擁立され、カヘティ王朝を創設した。ヴァフシティは、このダヴィトについて、カヘティ王ギオルギの父であるとしている。ただし、ディミトリの弟であり初代カヘティ王となったギオルギ8世とは別人としている。ロシアの歴史学者キリル・トゥマノフは、ヴァフシティのこの見解に対し、ダヴィトは存在しない人物であると述べている[2]

系譜

ディミトリの系譜
ダヴィト9世グルジア語版
バグラト5世グルジア語版
シンドゥフタル・ジャケリ
コンスタンティネ1世
アレクシオス3世ギリシア語版
アンナ・メガリ・コムニニギリシア語版
テオドラ・カンタクゼネギリシア語版
アレクサンドレ1世
クツナ・アミレジビグルジア語版
ナティア
ルサ
ディミトリ
Ivane Orbelian
Smbat IV of Siunia
ベシケン2世オルベリアニwikidata
ドゥランドゥフティwikidata

注釈

  1. ^ a b c Toumanoff 1949–51, p. 186.
  2. ^ Toumanoff 1949–51, p. 189.

参考文献




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