ディアーナ・ド・ブルボン=パルムとは? わかりやすく解説

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ディアーナ・ド・ブルボン=パルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 09:59 UTC 版)

ディアーナ・マルグリット・ド・ブルボン=パルム(Diana Marguerite de Bourbon-Parme、1932年5月22日パリ[1] - 2020年5月7日[1] ハンブルク)は、フランスドイツの貴族女性。スペイン王室の分家の一つブルボン=パルマ家の公女(princesse)。欧州王族と定義される人々の間では、2番目にCOVID-19の犠牲となり死亡した人物と報じられた。

ブルボン=パルマ公子ガエターノと、カステル・ドゥイノ公爵の娘トゥルン・ウント・タクシス侯女マルガレーテの間の一人娘。1955年ホーエンツォレルン侯フリードリヒの次男フランツ・ヨーゼフ侯子(1926年 - 1996年)と結婚[2]。1955年3月15日にロンドンで民事婚を、同年4月16日にクラウヒェンヴィース英語版で宗教婚を執り行った[2]。1957年長男アレクサンダーを出産するが[2]、夫妻は1961年1月19日シュトゥットガルトにて離婚[2]、同時に息子が夫の実子でないことも公表された[3]。1961年3月21日シュトゥットガルトで、息子の実父ハンス・ヨアヒム・エーミヒェン(1920年 - 1995年)と再婚[2]。エーミヒェンとの間にさらに1男1女をもうけている。ただしフランツ・ヨーゼフとの教会法上の婚姻が無効とされたのは1980年1月17日になってからであり[3][2]、エーミヒェンと宗教婚を執り行ったのは1992年だった。

ディアーナは2020年5月7日にハンブルクで感染症COVID-19のために死去したと報じられ、同感染症で死亡した王族としては、2020年3月に死亡した同族の従妹マリア・テレサ・デ・ボルボン=パルマに次いで2番目となったとされた[3]

引用・脚注

  1. ^ a b Paul Theroff. “PARMA”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Diane Marguerite di Borbone, Principessa di Parma”. The Peerage. Darryl Lundy. 2020年6月3日閲覧。
  3. ^ a b c Nuevo luto en la familia de Borbón-Parma: la princesa Diana, fallecida por coronavirus (スペイン語)



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