ディアナ・スクルトリとは? わかりやすく解説

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ディアナ・スクルトリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/21 00:17 UTC 版)

ディアナ・スクルトリ
Diana Scultori
ディアナ・スクルトリを彫刻したメダル
生誕 1547年
イタリア、マントヴァ
死没 1612年4月
イタリア、ローマ
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ディアナ・スクルトリ(Diana Scultori、 Diana Mantovanaとも、かつては Diana Ghisi[1]とも呼ばれた。1547年 - 1612年4月)は、イタリアの版画家である。マントヴァのゴンザーガ家の夏の離宮、パラッツォ・デル・テ所蔵のジュリオ・ロマーノの作品などをもとにした版画作品を制作した[2]

略歴

イタリア北部のマントヴァで生まれた。父親のジョヴァンニ・バッティスタ・スクルトリ(Giovanni Battista Scultori1503-1575)はヴェローナ出身の彫刻家、版画家で、兄のアダモ・スクルトリ(Adamo Scultori: 1530-1585)も版画家であった[3]。1560年ころから版画を制作した。

1565年にマントヴァで建築家、彫刻家のフランチェスコ・カプリアーニ(Francesco Capriani da Volterra: 1535-1594 )と知り合い、弟子となり後に結婚した。1575年に夫婦でローマに移り、夫は建築家として高い評価を得ていた。ディアナ・スクルトリは、出版に関する検閲が厳しくなっていたローマで「マントヴァのディアナ(Diana Mantuana)」などの署名で、ジュリオ・ロマーノのフレスコ画に基づく版画などを出版する教皇庁からの特権を得た唯一の女性となった。ジュリオ・クローヴィオダニエレ・ダ・ヴォルテッラフェデリコ・ツッカリ、ラファエッリーノ・ダ・レッジョ(Raffaellino da Reggio)といった画家の作品も制作した[4]

最初の結婚で1577年に息子が生まれた。1594年に夫が亡くなった後、1596年に建築家のジュリオ・ペロージ(Giulio Pelosi: 1567-?)と再婚した。

1612年にローマで没した。

作品

脚注

  1. ^ ディアナ・ギージ(Diana Ghisi)と呼ばれたのはマントヴァの画家、版画家のジョルジョ・ギージがスクルトリ家と関係が深く、ディアナ・スクルトリが「Diana Mantuana」と署名したようにギージも「Mantovano」の署名を用いたことからの混同であるとされる。
  2. ^ Kindle版:ASIN 102
  3. ^ Template:DBI
  4. ^ Paola Bellini (1991), L’opera incisa di Adamo e Diana Scultori, Vicenza

参考文献

  • Barbara Furlotti: Scultori, Diana. In: Raffaele Romanelli (Hrsg.): Dizionario Biografico degli Italiani (DBI). Band 91: Savoia–Semeria. Istituto della Enciclopedia Italiana, Rom 2018.
  • Susanna Partsch: Scultori, Diana. In: Allgemeines Künstlerlexikon. Die Bildenden Künstler aller Zeiten und Völker (AKL). Band 102, De Gruyter, Berlin 2019, ISBN 978-3-11-023268-4, S. 414.



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