チャールズ・マーシャム (初代ロムニー伯爵)とは? わかりやすく解説

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チャールズ・マーシャム (初代ロムニー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 09:33 UTC 版)

ウィリアム・ビーチーによる肖像画。

初代ロムニー伯爵チャールズ・マーシャムCharles Marsham, 1st Earl of Romney FRS1744年9月28日1811年3月1日)は、イギリスの貴族、政治家。1768年から1790年まで庶民院議員を務めた[1]

生涯

第2代ロムニー男爵ロバート・マーシャムと妻プリシラ(1724年8月3日 – 1771年2月27日、チャールズ・ピムの娘)の次男として、1744年9月28日に生まれ、10月20日にセント・ジョージ・ハノーヴァー・スクエア教会英語版で洗礼を受けた[1]。1753年から1763年までイートン・カレッジで教育を受けた[2]。兄ロバート・ピムが1762年に19歳で死去したため、チャールズが法定推定相続人になった[1]。1763年2月28日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。1769年7月3日、ケンブリッジ大学よりLL.D.の名誉学位を授与された[4]

1768年イギリス総選挙ケント選挙区英語版から出馬しようとしたが、父の意向を受けてメイドストーン選挙区英語版から出馬[2]、697票(得票数1位)で庶民院議員に当選した[5]。しばらくは発言を控え、野党に同調して投票した程度だった[2]

1774年イギリス総選挙でケントから出馬して、無投票で当選した後、1780年1784年の総選挙において無投票で再選した[6]。この時期に議会での発言が増え、アメリカ独立戦争に反対するなど野党に同調することが多かったものの与党に賛成することもあった[2]。1782年3月に首相ノース卿への不信任決議案が採決にかけられたとき、「今主張している政策を覆すようなことがあったら、わが国の最もひどい裏切者とみなす」と野党に警告を発した[2]。その後、1783年2月にアメリカ独立戦争の予備講和条約に賛成、1783年5月に選挙法改正に賛成、1783年11月にチャールズ・ジェームズ・フォックスイギリス東インド会社規制法案に反対した[2]

1776年3月14日、王立協会フェローに選出された[7]。1778年にウェスト・ケント民兵隊の少佐に任命され、1782年に大佐(隊長)に昇進した[4]

1783年末の首相小ピットとフォックスの和解を目指すセント・オールバンズ・タヴァーン・グループ英語版にはトマス・ポウィスと共同で議長に就任したが、1784年2月にまず小ピットが辞任すべきと主張して、小ピットに拒否されると、フォックス支持に転じた[2]。以降は野党に同調して投票した[2]

1790年イギリス総選挙ではケント選挙区で選挙戦があった[8]。ケントではウェスト・ケントとイースト・ケントから1人ずつ議員を選ぶことが慣例になっており、マーシャムはウェスト・ケントに属したが、この選挙ではイースト・ケントの候補者が2人立候補した[8]。2人とも支持者に向けて、2票目はマーシャムに投票してよいと述べたが、選挙戦が激しくなると2人の支持者が慣例を破り、1票しか投じないよう呼びかけたり、イースト・ケントの候補2人に投票することを呼びかけたりした[8]。その結果、マーシャムは得票数3位(2,724票)で落選した[8]

1793年8月31日、農業委員会の委員に就任した[9]。同年11月16日に父が死去すると、ロムニー男爵位を継承、1794年2月17日に貴族院議員に就任した[1]。また、父の後を継いでマリーン・ソサエティ英語版会長に就任した[1]。1797年から1808年までケント統監英語版を務めた[1]

1801年6月22日、連合王国貴族であるケント州ザ・モートにおけるマーシャム子爵ロムニー伯爵に叙され、29日に貴族院に紹介英語版された[1][10]

1811年3月1日に卒中を起こして死去、メイドストーン諸聖人教会英語版に埋葬された[1]。同名の息子チャールズ英語版が爵位を継承した[1]。遺言状で未婚の娘2人にそれぞれ3,000ポンド、親族や友人にそれぞれ100ポンドを遺贈し、残りの遺産は息子が相続した[11]

ナサニエル・ラクソールはマーシャムを「平凡な人で、(中略)善意と自身の感覚に基づき虚飾なく行動する」と形容した[2]

家族

1776年8月30日、フランシス・ウィンダム(Frances Wyndham、1755年7月9日 – 1795年1月15日、第2代エグレモント伯爵チャールズ・ウィンダムの娘)と結婚[1]、1男4女をもうけた[12]

  • チャールズ英語版(1777年11月22日 – 1845年3月29日) - 第2代ロムニー伯爵[1]
  • フランシス(1778年10月25日 – 1868年6月30日) - 1805年8月17日、第9代準男爵サー・ジョン・ブキャナン・リデル(1819年4月没)と結婚[12]
  • ハリオット(Harriot、1780年4月6日 – 1825年9月15日) - 生涯未婚[12]
  • アメリア・シャーロット(1782年1月13日 – 1863年1月5日[12]
  • ソフィア(1784年 – 1786年[12]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 85–86.
  2. ^ a b c d e f g h i Newman, A. N. (1964). "MARSHAM, Hon. Charles (1744-1811), of Maidstone, Kent". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年12月22日閲覧
  3. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Marsham, Charles (1)" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 3. Oxford: Parker and Co. p. 919. ウィキソースより。
  4. ^ a b "Marsham, the Hon. Charles. (MRSN769C)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  5. ^ Brooke, John (1964). "Maidstone". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年12月22日閲覧
  6. ^ Brooke, John (1964). "Kent". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年12月22日閲覧
  7. ^ "Marsham; Charles (1744 - 1811); 1st Earl of Romney and Viscount Marsham". Record (英語). The Royal Society. 2024年12月22日閲覧
  8. ^ a b c d Murphy, Brian; Thorne, R. G. (1986). "Kent". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年12月22日閲覧
  9. ^ "No. 13564". The London Gazette (英語). 27 August 1793. p. 738.
  10. ^ "No. 15375". The London Gazette (英語). 13 June 1801. p. 659.
  11. ^ "Charles Marsham, 1st Earl of Romney". Centre for the Study of the Legacies of British Slavery (英語). University College London. 2024年12月22日閲覧
  12. ^ a b c d e Lodge, Edmund, ed. (1869). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (38th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 477.

外部リンク

グレートブリテン議会英語版
先代
ローズ・フラー英語版
ウィリアム・ノーシー英語版
庶民院議員(メイドストーン選挙区英語版選出)
1768年1774年
同職:ロバート・グレゴリー英語版
次代
ホレイショ・マン英語版
ガーンジー卿
先代
サー・ブルック・ブリッジス準男爵英語版
サー・チャールズ・ファーナビー準男爵英語版
庶民院議員(ケント選挙区英語版選出)
1774年1790年
同職:トマス・ナイト英語版 1774年 – 1780年
フィルマー・ホニーウッド英語版 1780年 – 1790年
次代
フィルマー・ホニーウッド英語版
サー・エドワード・ナッチブル準男爵英語版
名誉職
先代
ドーセット公爵
ケント統監英語版
1797年 – 1808年
次代
カムデン伯爵
非営利団体職
先代
ロムニー男爵
マリーン・ソサエティ英語版会長
1793年 – 1811年
次代
ロムニー伯爵英語版
イギリスの爵位
爵位創設 ロムニー伯爵
1801年 – 1801年
次代
チャールズ・マーシャム英語版
グレートブリテンの爵位
先代
ロバート・マーシャム
ロムニー男爵
1793年 – 1811年
次代
チャールズ・マーシャム英語版



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