チャールズ・ヘンリー・ハワースとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > チャールズ・ヘンリー・ハワースの意味・解説 

チャールズ・ヘンリー・ハワース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/11 00:07 UTC 版)

チャールズ・ヘンリー・ハワース
Charles Henry Howorth
C・H・ハワース作「ロトリア近くの遊歩道」
生誕 (1856-01-02) 1856年1月2日
ニュージーランド、ダニーデン
死没 1945年8月22日(1945-08-22)(89歳)
ニュージーランド、Silverstream

チャールズ・ヘンリー・ハワース(Charles Henry Howorth、1856年1月2日 - 1945年8月22日)は、ニュージーランドの画家である。エンジニアとして働きながら、ニュージーランドの風景を描いた。

略歴

ニュージーランド南島ダニーデンで生まれた[1]。母方の祖父に、ロンドンの版画家、チャールズ・ヘンリー・モットラム(Charles Henry Mottram: 1807–1876)がいて、叔父のヘンリー・ハワース(Henry Howorth: 1834–1907)は国会議員を務めた政治家だった。

エンジニアとして南島で22年以上働き、油彩や水彩で風景画を描いた。1893年に南島の南端の街、インバーカーギルの美術家協会(Invercargill Art Society)の設立メンバーとなった。南海岸の港町ブラフを描いた油絵を1904年のアメリカ、セントルイス万国博覧会に出展し賞を得た。

1912年ころにニュージーランド北島西海岸のワンガヌイに移り、ワンガヌイ美術・工芸協会(Wanganui Arts and Crafts Society)の初期メンバーになった。

1945年に北島南端、ウェリントン地方のUpper Hutt のSilverstreamで亡くなった[1]

作品

脚注

  1. ^ a b Collins, 1979, p.88.

参考文献

  • Una Platts, 1980, "HOWORTH, Charles Henry 1856–1945", in Nineteenth Century New Zealand Artists: A Guide & Handbook, Christchurch, Avon Fine Prints.
  • Australian Art Auction Records Charles Henry Howorth (1856-1945) New Zealand
  • Roger Collins, 1979, Pictures of Southern New Zealand. Dunedin, John McIndoe.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  チャールズ・ヘンリー・ハワースのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チャールズ・ヘンリー・ハワース」の関連用語

1
50% |||||

チャールズ・ヘンリー・ハワースのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チャールズ・ヘンリー・ハワースのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチャールズ・ヘンリー・ハワース (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS