スヴャトスラフ・オリゴヴィチ_(ルィリスク公)とは? わかりやすく解説

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スヴャトスラフ・オリゴヴィチ (ルィリスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 02:43 UTC 版)

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スヴャトスラフ・オリゴヴィチ
Святослав Ольгович
ルィリスク公

出生 1167年
配偶者 エヴドキヤ
家名 リューリク家
父親 ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグ
母親 アガフィヤ・ロスチスラヴナ
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スヴャトスラフ・オリゴヴィチロシア語: Святослав Ольгович1167年 - ?)は、ノヴゴロド・セヴェルスキー公オレグの子である。聖名ボリス。ルィリスク公(在位期間は不明)。

スヴャトスラフは1167年に生まれた。1183年の春と冬にポロヴェツ族への遠征に参加した。1185年にもおじのイーゴリの率いる遠征軍に参加したが、敗れて捕虜となった。一般に、スヴャトスラフのその後の詳細は不明であると論じられているが[1]、後にルーシに帰還し、1196年から再びルィリスク公となったとみなす説もある[2]

作家のA.M.ドミニンは、『イーゴリ軍記』の作者はスヴャトスラフであるという仮説を立てている[2]

妻子

妻の名はエヴドキヤ。クルスク公オレグルィリスク公ムスチスラフを、スヴャトスラフの子とみなす説がある[3]

出典

  1. ^ 木村彰一『イーゴリ遠征物語』p204
  2. ^ a b Раздорский А. И. Князья Рыльские // Князья, наместники и воеводы Курского края XI-XVIII вв. — Курск: Регион-Пресс, 2004.
  3. ^ Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ

参考文献

  • 木村彰一訳 『イーゴリ遠征物語』 岩波書店、1983年。



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