ジローナのサルバリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 16:11 UTC 版)
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ジローナのサルバリー | |
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サルバリーによる詩『Taflamart』
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生誕 | 不明![]() |
死没 | 不明 不明 |
別名 | ギリェム・ダ・サルバリー |
民族 | カタルーニャ人 |
職業 | トルバドゥール(叙情詩歌人) |
活動期間 | 1259年-1285年 |
ジローナのサルバリー(カタルーニャ語: Cerverí de Girona, カタルーニャ語発音: [sərβəˈɾi ðə ʒiˈɾonə], 生没年不詳, 活躍期は1259年 – 1285年)は、アラゴン=カタルーニャ連合王国・ジローナ出身のトルバドゥール(叙情詩歌人)。出生名はギリェム・ダ・サルバリー(カタルーニャ語: Guillem de Cervera)。
経歴
サルバリーは多作のトルバドゥール(叙情詩歌人)であり、パストゥレル(求愛詩)やシルヴェンテス(政治風刺詩)を書いている。114の叙情詩、息子に捧げたエンセナーメン(長い教訓詩)を含め、生涯に約130の作品を残している。ハイメ1世やペドロ3世の治世で宮廷詩人を務めた。彼が制作した音楽は現存していない。
ロデーズ伯ユーグ4世とロデーズ伯アンリ2世の庇護の下で多くの時間を過ごした。1269年にはインファンテとしてペドロ3世の傍らにおり、仲間のトルバドゥールであるフルケット・ダ・ルネルやダルフィネットとともに、サルバリーはペドロ3世に従ってイベリア半島内陸部のトレドに同行した。クエンカ近郊のリエーリョではその役目に応じてソリドゥス(ビザンツ帝国の金貨)を受け取っている。ハイメ1世が死去した1276年8月26日、サルバリーは直接的で個人的なプラーニュ(哀歌)として『Si per tristor, per dol no per cossir』を書いた。
参考文献
- Cabré, Miriam (1999). Cerverí de Girona and his Poetic Traditions. London, UK: Tamesis. ISBN 978-1-85566-042-7
- Gaunt, Simon; Kay, Sarah (1999). Appendix I: Major Troubadours. The Troubadours: An Introduction. London, UK: Cambridge University Press. pp. 279-291. ISBN 0-521-57473-0
- Riquer, Martín de (1975). Los trovadores: historia literaria y textos. Barcelona, ESP: Planeta
外部リンク
- Cerverí de Girona NARPAN
- ジローナのサルバリーのページへのリンク