ジョージ・ラッセルズ (第7代ヘアウッド伯爵)とは? わかりやすく解説

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ジョージ・ラッセルズ (第7代ヘアウッド伯爵)

(ジョージ・ラセルズ (第7代ヘアウッド伯爵) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 02:16 UTC 版)

第7代ヘアウッド伯爵ジョージ・ヘンリー・ヒューバート・ラッセルズ英語:George Henry Hubert Lascelles, 7th Earl of Harewood KBE AM、1923年2月7日 - 2011年7月11日)は、イギリスの貴族、音楽家。

エリザベス2世の従兄にあたる。

父が爵位を継承する1929年以前はジョージ・ラッセルズ閣下(The Honourable George Lascelles)、1929年から自身が爵位を継承する1947年まではラッセルズ子爵(Viscount Lascelles)の儀礼称号を使用した。

経歴

第6代ヘアウッド伯爵ヘンリー・ラッセルズとその妻メアリー王女との長男として誕生。外祖父の国王ジョージ5世にとっては初孫であり、ジョージの洗礼では国王が代理父をつとめた。1937年、伯父ジョージ6世の即位礼においてはペイジをつとめている。

1942年、英国陸軍に入隊し、グレナディアガーズに配属される。階級は大尉。第二次世界大戦ではナチスドイツの捕虜となった経験がある。

1947年、父ヘンリーの死に伴いヘアウッド伯爵位を襲位。1956年、貴族院議員就任。

1949年、ヨークシャー・シンフォニー・オーケストラのコンサートを鑑賞したのをきっかけに、クラシック音楽の世界にのめりこんでゆく。1950年にオペラ専門誌の記者となったのを皮切りに、ロイヤル・オペラ・ハウスのdirector(1951-1953/1969-1972)、イングリッシュ・ナショナル・オペラ取締役社長(1972-1985)、同チェアマン(1986-1995)、エディンバラ国際フェスティバル芸術監督、リーズ音楽祭の総合監督兼芸術監督(1958-1974)などをつとめた。

その他、BBC会長(1985-1987)、全英映像等級審査機構総裁(1985-1996)等を歴任する。

また、サッカー界にも進出し、リーズ・ユナイテッドFC会長、フットボール・アソシエーション協会長などをつとめた。

2011年没。享年88。

家族

  • 夫人:マリオン・ソープ(1926-2014) - コンサート・ピアニスト
    • 長男:デイビッド(1950-) - 第8代ヘアウッド伯爵
    • 次男:ジェームズ(1953-)
    • 三男:ジェレミー(1955-)

栄典




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