ジャン・ダルトワとは? わかりやすく解説

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ジャン・ダルトワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 02:08 UTC 版)

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ジャン・ダルトワ
Jean d'Artois
ウー伯
ジャン・ダルトワと妻のイザベル
在位 1351年 - 1387年

出生 (1321-08-29) 1321年8月29日
死去 (1387-04-06) 1387年4月6日(65歳没)
配偶者 イザベル・ド・ムラン
子女 一覧参照
家名 アルトワ家
父親 ロベール3世・ダルトワ
母親 ジャンヌ・ド・ヴァロワ
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ジャン・ダルトワJean d'Artois, 1321年8月29日 - 1387年4月6日)は、中世フランスの貴族、ウー伯(在位:1351年 - 1387年)。「領地の無いジャン」を意味するジャン・サン・テールJean Sans-Terre)の呼び名で知られた。ボーモン・ル・ロジェ伯ロベール3世・ダルトワとその妻でフィリップ6世王の異母妹にあたるジャンヌ・ド・ヴァロワの間の次男[1]

生涯

1331年、父がアルトワ伯領の相続問題に関連して文書偽造罪で告発され、所領を没収されたため、相続すべき資産を残してもらえなかった[2]。1352年、従兄のジャン2世王によりウー伯に封ぜられた。ウー伯領はジャン2世王に処刑されたラウル2世・ド・ブリエンヌ英語版から没収されたものであった。1356年のポワティエの戦いで負傷し、ジャン2世王とともにイングランド軍の捕虜となっている[3]

子女

1352年7月11日、ドルー伯ピエール1世の未亡人イザベル・ド・ムラン(1328年 - 1389年)と結婚し、間に6人の子女をもうけた。

  • ジャンヌ(1353年 - 1420年) - ドルー伯シモン・ド・トゥアールと結婚
  • ジャン(1355年 - 1363年)
  • ロベール4世(1356年 - 1387年) - ウー伯
  • フィリップ(1358年 - 1397年) - ウー伯
  • シャルル(1359年 - 1368年)
  • イザボー(1361年 - 1379年)

脚注

  1. ^ Froland, Louis, Memoires concernans le comté-pairi d'Eu, et ses usages pretendus locaux, (1722), 13.
  2. ^ Anquetil, Louis-Pierre and Gallais (Jean-Pierre, M.), Vincent Marie Viénot, Histoire de France depuis les Gaulois jusqu'à la mort de Louis XVI, (Rue Neuves Des Petit Champs, 1819), 184-185.
  3. ^ Sumption, Jonathon, The Hundred Years War: Trial by Fire, (University of Pennsylvania Press, 1999), 147.
先代:
ラウル2世・ド・ブリエンヌ英語版
ウー伯
1351年 - 1387年
次代:
ロベール4世



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