ジャネット・ゴドフリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 04:08 UTC 版)
ジャネット・ゴドフリー
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著名な実績 | 作詞 |
配偶者 | ジャック・ブルース(1964年結婚、1982年離婚) |
ジャネット・ゴドフリー(Janet Godfrey)は、イングランドの作詞家である[1]。
1960年代に、R&B・ジャズ・バンドのグレアム・ボンド・オーガニゼーションとロック・バンドのクリームの楽曲に詩を提供した。
略歴
ゴドフリーは16歳の時に女友達のグループでロンドンのマーキー・クラブを訪れるようになり、そこでジャック・ブルースに出会った[2]。二人は1964年9月26日に結婚した[3]。
ブルースはグレアム・ボンド率いるグレアム・ボンド・オーガニゼーション(GBO)のベーシストだった。ゴドフリーはボンドのファン・クラブの秘書を務めた。GBOは1964年末にロバート・スティグウッドとマネージメントの契約を結び[4]、数週間後にデッカのスタジオに入って彼のプロデュースでアルバム『ザ・サウンド・オブ・'65』を一週間で録音した[5]。ゴドフリーとブルースは「ベイビー・メイク・ラヴ・トゥ・ミー」と「ベイビー・ビー・グッド・トゥ・ミー」を共作して[3]提供し、ブルースはこれらの曲のヴォーカルも担当した。
ゴドフリーは、ブルースがジンジャー・ベイカー、エリック・クラプトンと結成したクリームのデビュー・アルバム『フレッシュ・クリーム』(1966年)で、ブルースと「スリーピィ・タイム」、ベイカーと「スウィート・ワイン」を共作した[6][注釈 1]。
1970年代には、ブルースの4作目のソロ・アルバム『アウト・オブ・ザ・ストーム』(1974年)に収録された「ランニング・スルー・アワー・ハンズ」の作者に名を連ねた。
夫婦は1982年に離婚した。1969年生まれの長男ジョナスはキーボーディスト[7]だったが1997年に重篤な喘息発作で急逝した[8]。1970年生まれの次男マルコムはギタリスト兼キーボーディスト[9]である。
脚注
注釈
- ^ ベイカーは詩人のピート・ブラウンと共作しようとしていたがうまく行かなかったので、代わりにゴドフレーと共同で「スウィート・ワイン」を一晩で書き上げた。彼はクリーム解散後に結成したジンジャー・ベイカーズ・エアー・フォースのセカンド・アルバムで、同曲を再録音した。
出典
- ^ “Discogs”. 2025年6月19日閲覧。
- ^ Shapiro (2010), p. 73.
- ^ a b Shapiro (2010), p. 74.
- ^ Baker & Baker (2010), p. 71.
- ^ Baker & Baker (2010), p. 78.
- ^ Shapiro (2010), p. 88.
- ^ “Discogs”. 2025年6月19日閲覧。
- ^ Shapiro (2010), p. 260.
- ^ “Discogs”. 2025年6月19日閲覧。
引用文献
- Shapiro, Harry (2010). Jack Bruce: Composing Himself: The Authorised Biography by Harry Shapiro. London: A Genuine Jawbone Book. ISBN 978-1-906002-26-8
- Baker, Ginger; Baker, Ginette (2010). Ginger Baker: Hellraiser. London: Bonnier Books. ISBN 978-1-84454-966-5
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