ジェームズ・カーネギー (1707年没)とは? わかりやすく解説

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ジェームズ・カーネギー (1707年没)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 07:26 UTC 版)

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ジェームズ・カーネギー閣下(英語: Hon. James Carnegie、1643年以降 – 1707年3月10日)は、スコットランド王国の政治家。スコットランド王国議会英語版議員英語版(1669年 – 1674年、1686年、1698年 – 1707年)を務めた[1]

生涯

第2代ノーセスク伯爵デイヴィッド・カーネギーとジーン・モール(Jean Maule、1685年11月没、初代パンミュア伯爵パトリック・モールの娘)の次男として生まれた[2]

1669年から1674年までフォーファー選挙区英語版の、1686年と1698年から1707年までフォーファーシャー選挙区英語版の代表としてスコットランド王国議会英語版議員英語版を務めた[1]

1672年6月6日、父から領地を与えられた[2]。1674年にスコッツガーズで2個中隊が新設されると、同年8月25日に中隊長(軍階は大尉)に任命された[3]。1679年6月のボスウェル・ブリッジの戦い英語版に参戦した後、1680年1月に軍職を辞任した[3]

1703年9月13日に財産の次男ジェームズへの限嗣相続を定めた後、1707年3月10日にエディンバラで死去、ホリールード寺院に埋葬された[1]

家族

1674年にアンナ・メイトランド(Anna Maitland、1694年9月3日没、ロバート・メイトランドの娘)と結婚して[1]、4男をもうけた[2]

  • チャールズ(1712年没) - 体の麻痺があり、1703年に財産相続から外された[2]。子供なし[2]
  • ジェームズ英語版(1765年没) - 1728年5月に第6代ストラスモア=キングホーン伯爵チャールズ・ライアンを殺害した[2]。マーガレット・ベネット(Margaret Bennetサー・ウィリアム・ベネットの娘と結婚して、2女をもうけた[2]。その後、ヴァイオレット・ナスミス(Violet Nasmith初代準男爵サー・ジェームズ・ナスミス英語版の娘)と再婚、1男3女をもうけた[2]
  • マーガレット - パトリック・ライアン英語版と結婚[2]
  • ジーン(Jean) - アレクサンダー・ブレア(Alexander Blair、後に姓をカーネギーに改めた)と結婚、子供あり[2]。娘マーガレットが第11代グレイ卿ジョン・グレイと結婚したため、キンファウンズ英語版の領地がグレイ卿家により継承された[2]

出典

  1. ^ a b c d Foster, Joseph (1882). Members of Parliament, Scotland, Including the Minor Barons, the Commissioners for the Shires, and the Commissioners for the Burghs, 1357–1882 (英語) (2nd ed.). London: Hazell, Watson, and Viney. p. 65.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Paul, James Balfour, Sir, ed. (1909). The Scots Peerage (英語). VI. Edinburgh: David Douglas. pp. 497–498.
  3. ^ a b Dalton, Charles (1909). The Scots Army 1661–1688, Part II: Regimental Lists and Commission Registers, Etc (英語). London: Eyre and Spottiswoode. p. 22.
スコットランド王国議会英語版
空位
最後の在位者
デイヴィッド・ディッキンソン
バラ議員英語版フォーファー選挙区英語版選出)
1669年 – 1674年
次代:
ジョン・カーネギー
先代:
ジェームズ・カーネギー英語版
デイヴィッド・ファルコナー英語版
シャイア議員英語版フォーファーシャー選挙区英語版選出)
1686年
同職:ジェームズ・カーネギー英語版
次代:
ジェームズ・ブロディー英語版
デイヴィッド・アースキン
サー・ジョージ・マッケンジー英語版
先代:
デイヴィッド・アースキン
ジョン・フラートン
ジェームズ・ミルン
ジェームズ・スコット(父)
シャイア議員英語版フォーファーシャー選挙区英語版選出)
1698年 – 1707年
同職:ロバート・レイド 1698年 – 1702年
ジェームズ・スコット(父) 1698年 – 1702年
ジェームズ・スコット(子) 1698年 – 1702年
デイヴィッド・グラハム 1702年 – 1707年
ジェームズ・ハリバートン英語版 1702年 – 1707年
パトリック・ライアン閣下 1702年 – 1707年
次代:
グレートブリテン議会



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