ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)の意味・解説 

ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/15 09:21 UTC 版)

第5代サウスエスク伯爵ジェームズ・カーネギー英語: James Carnegie, 5th Earl of Southesk、1691年以降 – 1730年2月10日)は、スコットランド貴族。1715年に私権剥奪され爵位を失った。

生涯

第4代サウスエスク伯爵チャールズ・カーネギーとメアリー・メイトランド(Mary Maitland第3代ローダーデイル伯爵チャールズ・メイトランド英語版の娘)の一人息子として生まれた[1]。1699年8月に父が死去すると、サウスエスク伯爵の爵位を継承した[2]

1713年、マーガレット・ステュアート(Margaret Stewart、1750年11月2日没、第5代ギャロウェイ伯爵ジェームズ・ステュアートの娘)と結婚、1男1女を儲けたが、いずれも早世した[1]

1715年ジャコバイト蜂起に参加した廉で庶民院に私権剥奪を議決され[1]、毎年3,271ポンドの収入を得られる財産を失った[2]。これによりサウスエスク伯爵の爵位も剥奪されたが、同時に私権剥奪されたほかの貴族と違い、第5代サウスエスク伯爵は以降サウスエスク伯爵を名乗らなくなった[2]

1730年2月10日にフランスで死去、親族の第3代準男爵サー・ジェームズ・カーネギー初代サウスエスク伯爵デイヴィッド・カーネギーの四男アレクサンダーの子孫)が家長になった[1]

脚注

  1. ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1881.
  2. ^ a b c Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 199.
スコットランドの爵位
先代
チャールズ・カーネギー
サウスエスク伯爵
1699年 – 1715年
私権剥奪



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)」の関連用語

ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジェームズ・カーネギー (第5代サウスエスク伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS