サンシュ・ギヨーム_(ガスコーニュ公)とは? わかりやすく解説

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サンシュ・ギヨーム (ガスコーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/04 08:17 UTC 版)

サンシュ・ギヨーム
Sanche Guillaume
ガスコーニュ公
在位 1009年 - 1032年

出生 10世紀
死去 1032年10月4日
埋葬 ガスコーニュ公領、レスカー
配偶者 ウラカ・デ・カスティーリャ
子女 ガルシー
アラウジー
家名 ガスコーニュ家
父親 ガスコーニュ公ギヨーム・サンシュ
母親 ユラカ・ド・ナヴァール
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サンシュ・ギヨームフランス語:Sanche Guillaume, 1032年10月4日没)、サンシュ6世(Sanche VI)またはサンチョ6世・ギリェルモスペイン語:Sancho VI Guillermo)は、ガスコーニュ公(在位:1009年 - 1032年)。その治世の間に、スペインとガスコーニュの関係が刷新された。

生涯

サンシュ・ギヨームはガスコーニュ公ギヨーム・サンシュユラカ・ド・ナヴァールの息子で、ナバラ王サンチョ3世の親族にあたり、その生涯の一時期をナバラ宮廷で過ごした。また、サンシュ・ギヨームはレコンキスタに参加した。サンシュ・ギヨームはガスコーニュ公領をナバラの宗主下に置いた可能性もある。1010年、サンシュ・ギヨームはナバラ王サンチョ3世、フランス王ロベール2世アキテーヌ公ギヨーム5世とともに、サン=ジャン=ダンジェリを訪れている。サンシュ・ギヨームはフランス王に臣下の礼を取ったことはなかった。

1027年、ブライにおいてサンシュ・ギヨームはアキテーヌ公ギヨーム5世と面会し、両者はサンシュ・ギヨームの治世の間にガスコーニュの首都となったボルドーの大司教として、フランク人のジョフロワを選んだ。サンシュ・ギヨームは実妹ブリスクを妃と死別していたギヨーム5世と結婚させた。1032年にサンシュ・ギヨームが男子なく死去した後、ブリスクとギヨーム5世の子ウードがガスコーニュ公位を継承した。

参考文献

  • Higounet, Charles (1963). Bordeaux pendant le haut moyen age. Bordeaux 
  • Lewis, Archibald R. (1965). The Development of Southern French and Catalan Society, 718–1050. Austin: University of Texas Press 
  • Zurita, Gerónimo (1967). Anales de la Corona de Aragón I. Edited by Antonio Ubieto Arteta and Desamparados Pérez Soler. Valencia 
先代
ベルナール
ガスコーニュ公
1009年 - 1032年
次代
ウード



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