コッラーとシモ・ヘイヘ博物館とは? わかりやすく解説

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コッラーとシモ・ヘイヘ博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/20 10:10 UTC 版)

コッラーとシモ・ヘイヘ博物館
Kollaa ja Simo Häyhä -museo
施設情報
専門分野 戦史、郷土史
所在地 56710
Kuntalanraitti 32, 56710 MiettiläRautjärvi ,Suomi
位置 北緯61度17分48秒 東経29度12分9秒 / 北緯61.29667度 東経29.20250度 / 61.29667; 29.20250座標: 北緯61度17分48秒 東経29度12分9秒 / 北緯61.29667度 東経29.20250度 / 61.29667; 29.20250
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コッラーとシモ・ヘイヘ博物館フィンランド語: Kollaa ja Simo Häyhä -museo)は、フィンランド南カルヤラ県ラウトヤルヴィにある冬戦争コッラの戦いとラウトヤルヴィ ミエッティラ出身の狙撃兵シモ・ヘイヘに関する博物館である。

場所

コッラーとシモ・ヘイヘ博物館は、かってラウトヤルヴィ ミエッティラの予備兵舎エリアで病院として使われていた建物である。南つまりイモラの方向からはニスカピエティラ博物館道路を経由して行くことができる。西と北からは、高速道路6号線から分岐するミエティランティエがある。

活動

この博物館は1983年にコッラールームとして運営を開始し、2017年に現在の形に改装された。開館期間は主に夏季(夏から8月)で、それ以外は予約制である。コッラーとシモ・ヘイヘ博物館支援協会と下部組織の博物館委員会が運営を担当している。

展示

博物館の建物は2階建てである。階下にはシモ・ヘイヘの部屋があり、とりわけ、ミエッティラの予備兵舎エリアのミニチュア モデルと、1930年代から40年代の資料の展示室がある。博物館の上層階には、コッラーの戦いとそれに参加したラウトヤルヴィの人々に関連する情報と資料があり、写真、文献、小物、戦闘部隊のリスト、活動の状況地図などがある。

博物館の前には1941年製の製造番号6559と6639の2台の軽カノン砲76RK27[1]がある。

脚注

  1. ^ ソ連製M1927 76mm歩兵砲のフィンランドでの呼び方。

出典

  • Kollaa ja Simo Häyhä -museo” (フィンランド語). kollaa-simohayha-museo.fi. 12.3.2019閲覧。
  • Rautjärven Kollaa-museo 1983-92, Koonnut Ukko Könni (Moniste)

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