ゲオルク・フレゼニウスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ゲオルク・フレゼニウスの意味・解説 

ゲオルク・フレゼニウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 19:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ゲオルク・フレゼニウス(Johann Baptist Georg Wolfgang Fresenius、1808年9月25日 - 1866年12月1日)はドイツの医師、植物学者である。

略歴

フランクフルト・アム・マインに生まれた。1831年からハイデルベルク大学ヴュルツブルク大学ギーセン大学で医学を学び、1829年に博士号を得て、フランクフルトに戻り、臨床医となった[1]。後にアメリカに渡った、医師で植物学者のゲオルク・エンゲルマンと同窓、同年代で親しく、ハイデルベルクの時代から植物学を研究し、医師となった後も趣味として研究を続けた。

1831年からフランクフルトのゼンケンベルク財団が運営する植物園と、ゼンケンベルク自然史協会の植物標本館の学芸員を務め、ゼンケンベルク医学研究所の講師を務めた。ゼンケンベルク医学研究所では、後に有名な植物病理学者、生物学者となるアントン・ド・バリーに顕微鏡を使った生物研究を教えた。1914年にフランクフルト大学が設立されるまで、フランクフルトには大学がなかったので、ゼンケンベルク財団の講師たちがフランクフルトの高等教育を担った。

菌類などの分野でいくつかの種の記載を行った。

オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドールによって、キク科の植物の属名、Fresenia にフレゼニウスの名前がつけられた[2]

著作

  • Taschenbuch zum Gebrauche auf botanischen Excursionen in der Umgegend von Frankfurt a. M., enthaltend eine Aufzählung der wildwachsenden Phanerogamen, mit Erläuterungen und kritischen Bemerkungen im Anhange, 2 Bände, Verlag H. L. Brönner, Frankfurt am Main 1832–1833; Digitalisierte Fassung.
  • Beiträge zur Mykologie, Verlag H. L. Brönner, Frankfurt 1850–1863.

参考文献

脚注

  1. ^ Paul Wentzcke: Burschenschafterlisten. Zweiter Band: Hans Schneider und Georg Lehnert: Gießen – Die Gießener Burschenschaft 1814 bis 1936. Görlitz 1942, F. Germania. Nr. 273a.
  2. ^ Frans Antonie Stafleu et al.: Taxonomic Literature: A selective guide to botanical publications and collections with dates, commentaries and types. Online-Version: Eintrag zu Fresenius



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ゲオルク・フレゼニウス」の関連用語

ゲオルク・フレゼニウスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ゲオルク・フレゼニウスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのゲオルク・フレゼニウス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS