グレース・ジョエルとは? わかりやすく解説

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グレース・ジョエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/11 02:52 UTC 版)

グレース・ジョエル
Grace Joel
グレース・ジョエル作「バラ」(c.1895)
生誕1865年5月28日
ニュージーランド,ダニーデン
死没1924年3月6日
イギリス,ロンドン

グレース・ジョエル(Grace Jane Joel、1865年5月28日1924年3月6日)はニュージーランドの画家である。主に肖像画、人物画を描いた。

略歴

ニュージーランド南島の南東部のオタゴ地方ダニーデンで生まれた。父親はイギリス生まれの酒類の輸入業者であった[1]

若い頃から画家になる道を選び[2] 、ダニーデンのオタゴ女子高校を出た後、1886年にはオタゴ美術協会(Otago Art Society)のメンバーになった。1888年から1889年の間はオーストラリアに渡り、メルボルンビクトリア国立美術館の美術学校で学んだ。その後、フレデリック・マッカビンリンゼー・バーナード・ホールの指導を受けた[3][4]

1894年にダニーデンに戻り、オタゴ美術協会やイーゼル・クラブで活動し、イタリア出身でオーストリアやニュージーランドの画家に影響を与えた画家のジローラモ・ネルリとも知り合った[5]。地元で肖像画家として知られるようになった。

美術界でより高い評価を得るために1899年にヨーロッパに渡り、ロンドンに住み、フランスやオランダも訪れた。ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会やフランス芸術家協会の展覧会にも出展した。1906年に短期間、ニュージーランドに帰国した期間を除いてその後はヨーロッパで活動し[3]、1924年にロンドンで死去した。

作品

参考文献

  1. ^ Collins, R. D. J. "Grace Jane Joel". Dictionary of New Zealand Biography. Ministry for Culture and Heritage. 2017年4月23日閲覧
  2. ^ McCahon, Colin (1962年). “Six New Zealand Expatriates (exhibition catalogue)”. The Auckland Art Gallery. pp. 14. 2013年12月18日閲覧。
  3. ^ a b McAloon, William (2009), "Grace Joel" in Art at Te Papa, Te Papa Press, pp. 108, ISBN 978-1-877385-38-4 
  4. ^ Kirker, Anne (1975年6月). “New Zealand's Women Painters”. Auckland Art Gallery. 2019年7月5日閲覧。
  5. ^ Collins, R.D.J. (1976年). “Dunedin in the Eighteen-Nineties”. Art New Zealand. 2013年12月17日閲覧。



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