ギヨーム3世 (アキテーヌ公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 08:25 UTC 版)
| ギヨーム3世 Guillaume III d'Aquitaine | |
|---|---|
| アキテーヌ公 ポワティエ伯 オーヴェルニュ伯 | |
| 在位 | アキテーヌ公:962年 - 963年 ポワティエ伯:935年 - 963年 オーヴェルニュ伯:950年 - 963年 | 
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| 出生 | 913年 フランス王国、ポワティエ | 
| 死去 | 963年4月3日 フランス王国、サン=メクサン=レコール | 
| 埋葬 | フランス王国、ポワティエ、サン・シプリアン修道院 | 
| 配偶者 | ジェルロック(アデル)・ド・ノルマンディー | 
| 子女 | ギヨーム4世 アデライード | 
| 家名 | ポワティエ家 | 
| 父親 | アキテーヌ公エブレ・マンゼール | 
| 母親 | エミリアンヌ | 
ギヨーム3世(Guillaume III, duc d'Aquitaine, 913年 - 963年4月3日)は、アキテーヌ公(在位:962年 - 963年)、ポワティエ伯(在位:935年 - 963年)およびオーヴェルニュ伯(在位:950年 - 963年)。アデマール・ド・シャバンヌ、デュド・ド・サン=カンタンおよびギヨーム・ド・ジュミエージュがギヨーム3世の治世について記録を残している。「Tête d'étoupe(テット・デトゥープ)」(麻くず頭公)と呼ばれる。
生涯
ギヨーム3世はアキテーヌ公エブレ・マンゼール(庶子公)とエミリアンヌの息子として[1]、ポワティエで生まれた。父の死後、アキテーヌ公位を主張したが、西フランク王はギヨーム3世の死の前年まで公位を認めなかった。
936年、西フランク王ラウールの崩御後まもなく、ルイ4世はユーグ大公に領土の一部を割譲することを余儀なくされた。ユーグはこれを潔く受け入れたが、それ以降ユーグとの関係は悪化した。950年、ユーグはルイ4世と和解し、ブルゴーニュ公位とアキテーヌ公位を与えられた。ユーグはルイ4世の支援を受けてアキテーヌを征服しようとしたが、ギヨーム3世に敗れた。ルイ4世の次の王ロテールはギヨーム3世の力を恐れていた。955年8月、ギヨーム3世はユーグと共にポワティエを包囲し、ポワティエは抵抗に成功した。しかし、ギヨーム3世は戦いを仕掛け、敗走した。
ユーグの死後、息子のユーグ・カペーがアキテーヌ公に叙せられたが、ギヨーム3世がロテールと和解したため、領地を奪おうとはしなかった。
ギヨーム3世はサン=ティレール=ル=グラン修道院を与えられ、同修道院はギヨーム3世の死後もポワティエ家の所有とされた。また、ギヨーム3世はポワティエ宮殿に図書館を建設した。
結婚と子女
アデマール・ド・シャバンヌの年代記によると、ギヨーム3世の妻はノルマンディー公ロロの娘、ジェルロック(アデルとも呼ばれる)であった[2]。あまり信憑性が高くないデュド・ド・サン=カンタンの記述では、父エブレではなくギヨーム3世がジェルロックと結婚したとしており、おそらく936年頃、ノルマンディー公ギヨーム1世が仲立ちした縁組であったとしている。
ジェルロックとの間には、以下の子女が生まれた。
- ギヨーム4世(937年頃 - 994年) - アキテーヌ公[3]。ポワティエのサン=シプリアン修道院に隠棲し、息子に統治を委ねた。
- アデライード(945/52年 - 1004年) - ユーグ・カペーと結婚[注釈 1]
注釈
脚注
- ^ Painter 1956, p. 244.
- ^ Hagger 2017, p. 191.
- ^ McKitterick 1999, p. 362.
- ^ Bouchard 2001, p. 114.
参考文献
- Bouchard, Constance Brittain (2001). Those of My Blood: Creating Noble Families in Medieval Francia. University of Pennsylvania Press
- Hagger, Mark S. (2017). Norman Rule in Normandy, 911-1144. The Boydell Press
- McKitterick, Rosamond (1999). The Frankish Kingdoms under the Carolingians, 751-987. Longman
- Painter, Sidney (1956). “Castellans of the Plain of Poitou in the Eleventh and Twelfth Centuries”. Speculum (The University of Chicago Press) 31 (2 Apr): 243–257. doi:10.2307/2849411. JSTOR 2849411.
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