ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナの意味・解説 

ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/09 18:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ
C. Genucius L.f. L.n. Clepsina
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 ゲヌキウス氏族
官職 執政官(紀元前276年、紀元前270年)
テンプレートを表示

ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナラテン語: Gaius Genucius Clepsina、生没年不詳)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前276年紀元前270年執政官(コンスル)を務めた。

出自

プレブス(平民)であるゲヌキウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はルキウスである。紀元前271年の執政官ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナは兄弟と思われる。またコグノーメンは異なるものの、紀元前303年の執政官ルキウス・ゲヌキウス・アウェンティネンシスが父である可能性がある。

経歴

紀元前276年、クレプシナは執政官に就任。同僚執政官はクィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスであった。執政官就任期間中の特筆すべき出来事は、ローマで再び疫病が流行ったことであった[1]

紀元前270年、二度目の執政官に就任。同僚執政官はグナエウス・コルネリウス・ブラシオであった[2][3]。この年に、カンパニアのレギオン(現在のレッジョ・ディ・カラブリア)を守備していたカンパニア兵が反乱した。両執政官はレギオンを攻略、旧市民のために再建した。反乱兵はローマへ送られトリブス民会で死刑が宣言された。4,500の反乱兵が、一度に300人ずつ処分された。鞭打たれた後に、首の後ろの腱が切断された。埋葬することは許されず、その死体はフォルム・ロマヌムで鳥と犬に処理させた[4]。しかし、凱旋式の栄誉はブラシオのみが得た[5]

エトルリアのカエレ(en)の聖域にある碑文にはプラエフェクトゥスとしてガイウス・ゲヌキウス・クレプシナの名前がある。おそらくこの人物は執政官クレプシナと同一人物である[6]

その後のクレプシナに関しては不明である。またクレプシナのコグノーメンを持つ人物も、その後の歴史に登場しない。

脚注

  1. ^ オロシウス『異教徒に反論する歴史』、IV, 2. 2
  2. ^ オロシウス『異教徒に反論する歴史』、IV, 3. 5
  3. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、XX, 16, 1.
  4. ^ ディオニュシオス『ローマ古代誌』、XX, 16, 2.
  5. ^ 凱旋式のファスティ
  6. ^ Amrio Toreli, p. 265

参考資料

関連項目

公職
先代:
プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス
ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス
執政官
同僚:クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス
紀元前276年
次代:
マニウス・クリウス・デンタトゥス
ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス
先代:
カエソ・クィンクティウス・クラウドゥス
ルキウス・ゲヌキウス・クレプシナ
執政官
同僚:グナエウス・コルネリウス・ブラシオ
紀元前270年
次代:
クィントゥス・オグルニウス・ガッルス
ガイウス・ファビウス・ピクトル



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ」の関連用語

ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ガイウス・ゲヌキウス・クレプシナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのガイウス・ゲヌキウス・クレプシナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS