オトン1世 (ブルゴーニュ伯)とは? わかりやすく解説

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オトン1世 (ブルゴーニュ伯)

(オットー・フォン・ホーエンシュタウフェン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/20 02:25 UTC 版)

オトン1世
Othon Ier de Bourgogne
ブルゴーニュ伯
ルクセンブルク伯
在位 ブルゴーニュ伯1190年 - 1200年
ルクセンブルク伯1196年 - 1197年

出生 1167/71年
死去 1200年1月13日
配偶者 マルグリット・ド・ブロワ
子女 ジャンヌ1世
ベアトリス2世
家名 ホーエンシュタウフェン家
父親 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世
母親 ブルゴーニュ女伯ベアトリス1世
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オトン1世(Othon Ier de Bourgogne, 1167年から1171年 - 1200年1月13日)は、ブルゴーニュ伯(在位:1190年 - 1200年)およびルクセンブルク伯(在位:1196年 - 1197年)。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世と妃であるブルゴーニュ女伯ベアトリス1世の四男。皇帝ハインリヒ6世の弟、フィリップの兄である。ドイツ名でオットー1世(Otto I.)、オットー・フォン・ホーエンシュタウフェン(Otto von Hohenstaufen)とも呼ばれる。

1190年に父フリードリヒが死去した際、元は母のものであったブルゴーニュ伯領を相続した。

1196年にルクセンブルク伯ハインリヒ4世が死去した際、皇帝ハインリヒ6世は伯領を略取して弟オトンに与えた。ハインリヒ4世には一人娘で相続人のエルメジンデがおり、その夫であるバル伯ティボー1世がオトンと交渉した結果、翌1197年にオトンはルクセンブルクを放棄した。

オトンは1190年にブロワティボー5世の娘マルグリットと結婚し、2女をもうけた。

1200年にオトンがブザンソンで暗殺された後、ブルゴーニュ伯は長女ジャンヌが幼くして継いだが、早世したために次女ベアトリスがその後を継いだ。

先代
フリードリヒ1世
(神聖ローマ皇帝)
ブルゴーニュ伯
1190年 - 1200年
次代
ジャンヌ1世
先代
ハインリヒ4世
ルクセンブルク伯
1196年 - 1197年
次代
エルメジンデ



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