エリナー・オブ・ウッドストックとは? わかりやすく解説

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エリナー・オブ・ウッドストック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 08:28 UTC 版)

エリナー・オブ・ウッドストック
Eleanor of Woodstock

出生 (1318-06-18) 1318年6月18日
イングランド王国オックスフォードシャー、ウッドストック宮殿
死去 (1355-04-22) 1355年4月22日(36歳没)
ゲルデルン、デーフェンター修道院
埋葬 ゲルデルン、デーフェンター修道院
配偶者 ゲルデルン公ライナルト2世ドイツ語版
子女 ライナルト3世ドイツ語版
エドゥアルトドイツ語版
家名 プランタジネット家
父親 イングランドエドワード2世
母親 イザベラ・オブ・フランス
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エリナー・オブ・ウッドストック(Eleanor of Woodstock, 1318年6月18日 - 1355年4月22日)は、イングランドエドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの長女。ゲルデルン(ヘルレ)公ライナルト2世ドイツ語版の2番目の妻となった。

生涯

オックスフォードシャーのウッドストック宮殿で生まれた。洗礼名は父方の祖母エリナー・オブ・カスティルにちなむ。1324年、母イザベラが渡仏するのと前後して、妹ジョーンとともに従姉で若ディスペンサーの妻であるエリナー・ド・クレアに預けられた。1325年にカスティーリャアルフォンソ11世との縁談が持ち上がったが、実現しなかった。1330年、父を死に追いやった母と和解した。1332年、母の従妹のエノー伯爵夫人ジャンヌ・ド・ヴァロワの仲立ちにより、ゲルデルン公ライナルト2世ドイツ語版に嫁いだ。ライナルトには最初の妻ソフィー・ベルソーとの間に娘しかおらず、エリナーは男子を産むことを期待された。公爵夫妻は間に2人の息子をもうけた。

  • ライナルト3世ドイツ語版(1333年 - 1371年) - ゲルデルン公
  • エドゥアルトドイツ語版(1336年 - 1371年) - ゲルデルン公

両親の不和を原因とする不幸な幼少期が災いしてエリナーは精神的に不安定であり、ライナルト2世は彼女を疎ましく思うようになった。ライナルトは1338年、エリナーに癩病に罹ったという難癖を付けて彼女を宮廷から追放した。さらに婚姻を解消しようとしたが、ライナルトは1343年に事故死した。夫の死後、宮廷に戻ったエリナーは幼い息子ライナルト3世の摂政を務めようとしたが、失敗に終わった。さらに成長した息子と不仲となって寡婦領を没収され、経済的苦境の中、身を寄せていたシトー会の修道院で没した。

参考文献

  • Mary Anne Everett Green, Lives of the Princesses of England: from the Norman Conquest (1849–1855)
  • Alison Weir, Isabella the she wolf of France (2006)



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