エミリオ・サンチェス・ペリエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 22:53 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動エミリオ・サンチェス・ペリエ Emilio Sánchez Perrier | |
---|---|
![]() 自画像 | |
生誕 | 1855年10月15日 スペイン、セビリア |
死没 | 1907年9月13日 スペイン、Alhama de Granada |
エミリオ・サンチェス・ペリエ(Emilio Sánchez Perrier、1855年10月15日 - 1907年9月13日)はスペインの画家である。風景画や「オリエンタリズム」の作品を描いた。
略歴
セビリアで生まれた。父親のもとで時計職人の仕事をしていたが、13歳の時、セビリアの美術学校に入学しホアキン・ドミンゲス・ベッケルとエドゥアルド・カノ・デ・ラ・ペーニャに学んだ。 1877年にマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーでも学び、ベルギー出身の画家、カルロス・デ・アエス(Carlos de Haes)に学んだ。
1879年にパリに旅し、ジャン=レオン・ジェロームやフェリックス・ジアンのもとで修行を続けた。フランスではバルビゾン派の画家たちとも交流した。
ヴェネツィア、イギリスを旅し、タンジェなど北アフリカの町でも風景を描いた。
1880年頃、スペインに帰国し、セビリアの美術学校の教授に任じられた。セビリア県のアルカラ・デ・グアダイラをしばしば訪れ、マヌエル・ウッセル・デ・ギンバルダ(Manuel Ussel de Guimbarda)を中心とする画家たちと活動した[1]。マルティン・リコ(Martín Rico)とグラナダで活動することもあった。
1896年に結核と診断され、療養するも1907年に死亡した。
水辺の風景を描くのを得意とした。
作品
脚注
参考文献
- Reyero, Carlos; Fernández Lacomba, Juan. Sánchez Perrier 1855-1907. Editorial Fundación el Monte, Sevilla, 2000. ISBN 84-8455-008-7
- エミリオ・サンチェス・ペリエのページへのリンク