エクタラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 06:39 UTC 版)
エクタラ(Ektara) は、サンスクリット語およびヒンディー語で「一本の弦」を意味する南アジアの伝統的な一弦楽器である。地域や文脈によって ゴピチャンド(Gopichand)、aktar、iktar、gopichant、golki、gopijiantra、tun tuna など多様な名称で呼ばれる。とくに インド、バングラデシュ、パキスタン に広く分布し、農村社会や放浪の吟遊詩人、宗教的修行者らによって用いられてきた[1]。
歴史的背景
エクタラの歴史は古く、4世紀から5世紀頃に造営された アジャンター石窟 の壁画には、この楽器を演奏する姿が描かれている。これにより、古代インド社会においてすでに歌の伴奏楽器として定着していたことがわかる。中世以降は、西ベンガル地方の放浪詩人集団であるバウル(Baul)、ヒンドゥー教の修行者であるサドゥ(Sadhu)、そしてイスラーム神秘主義のスーフィー詩人たちの宗教的吟唱などに広く用いられるようになった。こうした文化的文脈の中で、エクタラは単なる楽器以上の意味を持ち、精神性や信仰と深く結びついていった。
構造
エクタラの基本的な構造は、共鳴体と竹あるいは木製のネック、そして一本の弦から成るが、その形態は地域によって大きく異なる。ひとつはリュート型で、木製のボウルに鹿皮を張り、そこに竹のネックを差し込んだ形式である。弦はペグから共鳴体にかけて張られ、人差し指の爪で弾かれる。もうひとつはゴピチャンタ型で、ドラム状の胴体に二股に分かれた竹のネックを備え、一本の弦を張る。奏者は竹の腕を握って締めたり緩めたりしながら張力を調整し、音程を変化させることで独特のうなりや揺れを生み出す。とくに西ベンガルのバウル音楽でよく用いられる。さらにトゥントゥネ型と呼ばれる形式も存在し、小さなドラムに棒を取り付け、その先端まで弦を張る。腕の下に抱えて演奏し、ドローン音を響かせることを目的とする。西インドのヒンドゥー修行者やビル族、ワーリ族などの部族が使用してきたことが知られている。
演奏方法
演奏は比較的単純に見えるが、表現力は非常に豊かである。奏者は共鳴体やネックを握り、同じ手の人差し指で弦をはじく。もう一方の手で胴を支えたり、小さな鈴を持ってリズムを添えることもある。ゴピチャンド型では二股に分かれた竹の腕を押したり緩めたりすることで、弦の張力を即興的に変化させる。これにより、音の高さが柔軟に揺れ動き、人間の声に似た独特の音色が生まれる。この可変性は目安となる基準音に依拠せず、演奏者の耳による判断に任されるため、即興性と自由度の高い演奏が可能である。
概要
エクタラは一本弦という単純な構造ゆえに複雑な旋律を奏でることはできないが、伴奏楽器としてきわめて重要な役割を果たす。歌を支える持続音、すなわちドローンを響かせるとともに、リズムの刻みを生み出す点に特色がある。しばしば歌い手自身が声と同時に奏で、自らの歌に寄り添わせるように演奏する。特にベンガル地方のバウル音楽では、哲学的かつ神秘的な歌詞を伴う歌とともにエクタラが奏でられる姿が、文化的な象徴として広く認識されてきた。
エクタラは南アジアにおける「簡素さの中にある精神性」を体現する楽器として位置づけられてきた。ヒンドゥー教における神名を繰り返すキルタンや、スーフィーの詩的吟唱においても重要な役割を担い、声と同じく「祈りの道具」として用いられてきたのである。哲学的探求を行う修行者や放浪詩人にとって、エクタラは魂を表現するための伴侶であり、自己の声と一体となって響く存在であった。近代以降は映画音楽や商業化されたフォークの中でも使用されるようになったが、その一方で伝統をいかに守るかという課題も浮上している。
エクタラには派生形として、弦を二本備えたドータラが存在し、低音域を担うことが多い。また、タンブーラのように複数の弦で持続音を生む古典音楽の伴奏楽器とも機能的に近く、同じ音楽文化圏の中で役割を分担している。
脚注
外部リンク
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