ウラジーミル・ブルリュークとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウラジーミル・ブルリュークの意味・解説 

ウラジーミル・ブルリューク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/04 00:20 UTC 版)

ウラジーミル・ブルリューク
Wladimir Burliuk
兄と詩人の友人と、最後列がウラジーミル・ブルリューク[1]
誕生日 1886年3月27日
出生地 現ウクライナ, ハルキウ
死没年 1917年
死没地 現ギリシャ,テッサロニキ
テンプレートを表示

ウラジーミル・ブルリューク(Wladimir Burliuk、ウクライナ語表記: Володи́мир Дави́дович Бурлю́к、ロシア語表記:Владимир Давидович Бурлюк1886年3月27日 - 1917年)はロシアの画家、イラストレーターである。ロシア未来派を代表する画家、ダヴィド・ブルリュークの弟である。第一次世界大戦で32歳で戦死した。

略歴

ロシア帝国のハリコフ県(現ウクライナのハルキウ)で、ウクライナに出自を持つ父親と、ベラルーシの先祖を持つ母親の間に生まれた[2]。4歳年上の兄に画家のダヴィド・ブルリュークがいる。

1902年にミュンヘンに移り、ミュンヘン美術院で学び、1903年にアントン・アズベの私立の美術学校で学び始めるが、その年の末、日露戦争に兵士として参加した。その後、1905年からキエフ美術学校、1911年からペンザの美術学校などで修業を続けた。

1907年から1908年の間、モスクワで活動した後、キエフで過ごし、キエフではロシア構成主義の画家、アレクサンドラ・エクステルや前衛画家のミハイル・ラリオーノフと交流した。1909年からはサンクトペテルブルクで活動し、1910年からはモスクワで活動した。1910年にラリオーノフらが組織した「ダイヤのジャック」に参加し、ウラジーミル・タトリンが率いる前衛芸術家のグループ、「ソユーズ・モロディオジ(Soyuz Molodyozhi)」にも参加した。

ミュンヘンの前衛画家との交流もあり、ミュンヘン新芸術家協会や「青騎士」の会員になり、その展覧会に出展した。1910年に詩人のヴェリミール・フレーブニコフと兄とともに「ギレヤ(Ὑλαίης)」というグループを作り活動した。

第一次世界大戦が始まり、1916年に招集され、翌年マケドニアの戦線で戦死した[3]

作品

脚注

  1. ^ 左から:ベネディクト・リフシッツ、ウラジーミル・ブルリューク、ウラジーミル・マヤコフスキーダヴィド・ブルリュークアレクセイ・クルチョーヌイフ(1912年頃)
  2. ^ Pg. 77, Nabokov and his fiction: new perspectives By Julian W. Connolly
  3. ^ Zitiert nach Webseite Museo Thyssen-Bornemisza

参考文献

  • Iozef Kiblickij (Hrsg.): Futurismus in Russland und David Burliuk, „Vater des russischen Futurismus“ : Katalog zur Ausstellung „Russischer Futurismus“, 17. September bis 26. November 2000, Von-der-Heydt-Museum Wuppertal/Staatliches Russisches Museum. Palace Editions, [Wetzlar] 2000, ISBN 3-930775-91-3.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ウラジーミル・ブルリュークのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウラジーミル・ブルリューク」の関連用語

ウラジーミル・ブルリュークのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウラジーミル・ブルリュークのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウラジーミル・ブルリューク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS