ウィリアム・A・ゲーリーとは? わかりやすく解説

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ウィリアム・A・ゲーリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 05:09 UTC 版)

尊師
ウィリアム・アレクサンダー・ゲーリー
名誉神学博士
米国聖公会サウスカロライナ州教区主教英語版
教会 米国聖公会
教区 米国聖公会サウスカロライナ州教区
着座 1908年 
離任 1928年
前任 エリソン・ケーパース英語版 
後任 アルバート・シドニー・トーマス英語版
他の役職 サウスカロライナ州教区補佐司祭(1907年-1908年)
聖職
叙階/叙聖 1888年9月23日
by エリソン・ケーパース 
司祭叙任 1889年12月22日
by エリソン・ケーパース
主教叙任 1907年9月15日
ダニエル・シルベスター・タトル英語版
個人情報
出生 (1861-07-07) 1861年7月7日
アメリカ合衆国
サウスカロライナ州クラレンドン郡
死去 1928年6月9日(1928-06-09)(66歳)
アメリカ合衆国
サウスカロライナ州クラレンドン郡
墓所 アメリカ合衆国
サウスカロライナ州クラレンドン郡
セント・フィリップ教会英語版
国籍 アメリカ合衆国
教派・教会名 聖公会
両親 レグランド・フェルダー・ゲーリー & マーガレット・セレナ・ブレイルスフォード
配偶者 アン・マクビー 
子供 5人
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ウィリアム・アレクサンダー・ゲーリーWilliam Alexander Guerry1861年7月7日 - 1928年6月9日)は、第8代米国聖公会サウスカロライナ州教区主教英語版を務めたアメリカ人高位聖職者である。

若年期と教育

1861年7月7日、ルグランド・フェルダー・ゲーリー師とマーガレット・セレナ・ブレイルスフォードの息子として、アメリカ合衆国のサウスカロライナ州クラレンドン郡に生まれる。ザ・ユニバーシティ・オブ・ザ・サウス英語版で勉学に励み、1884年に教養学士号教養修士号、1891年に神学博士号を取得した[1]

聖職者叙任

エリソン・ケーパース主教英語版により1888年9月23日に執事、1889年12月22日に司祭に叙任された。1888年、サウスカロライナ州フローレンスのセント・ジョーンズ教会の教区牧師に任命された。教区牧師在職中の1893年にはザ・ユニバーシティ・オブ・ザ・サウスの専属牧師となり、また同大学の神学部で説教学と牧会学を教える教授でもあった。同大学のキャンパスにあるオール・セインツ・チャペルの建設にも携わった[2]

主教職

1907年、サウスカロライナ州教区の補佐司祭に選出された[3]。同年9月15日にはダニエル・シルベスター・タトル総裁主教英語版によりサウスカロライナ州教区主教に叙任された。1908年4月22日、サウスカロライナ州教区主教となる。見習いフリーメイソン英語版として入会させられたゲーリーは、グランドロッジ英語版のランドマーク76 AFM(Landmark 76 AFM)[4]会員であった。主教職在任中には教区で人種的平等をもたらすために働いた。

殺人事件

1928年6月5日、サウスカロライナ州での人種的平等が発展していくことに反対していた元司祭であるJ・H・ウッドワードにより、サウスカロライナ州チャールストンセント・フィリップ教会英語版で銃撃された[5]。その上、人種的平等に反対する勢力がゲーリー主教の黒人補佐主教配置の提案を引き出していた[6]。ゲーリー主教銃撃犯のウッドワードは殺人罪で起訴され、銃撃されたゲーリー主教は4日後にローパー病院で逝去した。

なお、没する前にゲーリー主教は加害者であるウッドワードについて次のような言葉を言ったとされる[7]

Forgive him, Father, he knew not what he did.(父なる神よ、彼を許し給え。彼は自分が何をしたのか知らないのですから。)

関連項目

  • 米国聖公会歴代主教の一覧英語版

脚注

  1. ^ “Guerry, William Alexander”. Who's Who in America 15: 127. (1928). 
  2. ^ Hauck, A. (1909). “Guerry, William Alexander”. The New Schaff-Herzog Encyclopedia of Religious Knowledge 5: 93. 
  3. ^ Hauck, A. (1907). “A Bishop Coadjutor for South Carolina”. The Churchman 95: 8. 
  4. ^ "Landmark 76 AFM". Grand Lodge of Ancient Free Masons of South Carolina. 2023年2月1日閲覧
  5. ^ "BISHOP GUERRY DIES OF BULLET WOUND", The New York Times, New York, NY, 10 June 1928. Retrieved on 12 June 2020.
  6. ^ "William Alexander Guerry", Diocese of South Carolina. Retrieved on 12 June 2020.
  7. ^ "Bishop Guerry". The Episcopal Diocese of South Carolina. 2023年2月1日閲覧

外部リンク




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