ウィリアム・ブロムリー (1737年没)とは? わかりやすく解説

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ウィリアム・ブロムリー (1737年没)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 06:26 UTC 版)

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ウィリアム・ブロムリー英語: William Bromley1699年洗礼 – 1737年3月12日)は、グレートブリテン王国の政治家。1725年から1735年までと1737年2月から1737年3月まで庶民院議員を務めた。

生涯

庶民院議長英語版ウィリアム・ブロムリーと4人目の妻エリザベス・ストール(Elizabeth Stawll初代ストール男爵ラルフ・ストール英語版の娘)の間の次男として生まれ、1699年に洗礼を受けた[1]。1714年よりウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[2]、1717年2月27日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。1721年から1724年までグランドツアーに出てフランスとイタリアを旅した[4]。1732年5月19日、オックスフォード大学オリオル・カレッジからD.C.L.英語版の学位を授与された[3]

1725年3月、フォイ選挙区英語版の補欠選挙に出馬して、無投票で庶民院議員に当選した[5]1727年イギリス総選挙ウォリック選挙区英語版に転じ、無投票で当選した[6]。議会では常に野党側で投票し、1732年に父が死去するとトーリー党の指導者の1人になり[4]、1734年3月13日に1716年七年議会法英語版の廃止を動議したが、直後に議会が解散された[2]。これにより総選挙が行われ、ブロムリーは第8代ブルック男爵フランシス・グレヴィルの支持を得て一旦は当選するものの、対立候補の選挙申し立てにより1735年2月に落選を宣告された[6]

1737年2月、オックスフォード大学選挙区英語版の補欠選挙でホイッグ党候補に大差(329票対121票)で勝利したが[7]、直後の3月12日に病死した[2]初代エグモント伯爵ジョン・パーシヴァルの日記によると、ブロムリーの深酒が病気の一因だったという[1][4]

人物と私生活

グランドツアーの最中の1721年、フランス[1]ジェームズ老僭王に謁見したことがあり、老僭王の秘書官は1740年の手紙でこのことを回想して「誠実なジェントルマンだったが、秘密を保持できるような人ではなかった」(he was a mighty honest gentleman, but not of a turn of keeping a secret)と述べている[4]

1724年7月2日、ルーシー・スロックモートン(Lucy Throckmorton、1773年没[8]、クレメント・スロックモートンの娘)と結婚して、2男1女をもうけたが、2人の仲は悪く、ルーシーが不倫関係を持ち、ブロムリーが深酒に走るという結果となった[1]

  • ウィリアム・スロックモートン(1726年? – 1769年) - 庶民院議員。1756年5月、ブリジット・デイヴェンポート(Bridget Davenport、リチャード・デイヴェンポートの娘)と結婚、子供あり[9]

出典

  1. ^ a b c d Carter, Philip (23 September 2004). "Bromley, William". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/3516 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c Stephen, Leslie, ed. (1886). "Bromley, William (1699?-1737)" . Dictionary of National Biography (英語). 6. London: Smith, Elder & Co. p. 404.
  3. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (A to D) (英語). 1. Oxford: University of Oxford. p. 166.
  4. ^ a b c d Matthews, Shirley (1970). "BROMLEY, William, jun. (?1701-37), of Baginton, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧
  5. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Fowey". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧
  6. ^ a b Matthews, Shirley (1970). "Warwick". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧
  7. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Oxford University". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧
  8. ^ "Memorials of the Family of Bromley". The Gentleman's Magazine (英語). Vol. XXXI. January 1849. p. 28.
  9. ^ Brooke, John (1964). "BROMLEY, William Throckmorton (?1726-69), of Baginton, nr. Coventry, Warws.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年10月30日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代:
ジョン・グッドール
ニコラス・ヴィンセント
庶民院議員(フォイ選挙区英語版選出)
1725年 – 1727年
同職:ニコラス・ヴィンセント 1725年 – 1727年
フィッツウィリアム子爵 1727年
次代:
ジョナサン・ラッシュリー英語版
フィッツウィリアム子爵
先代:
ドディントン・グレヴィル閣下
サー・ウィリアム・ケイト準男爵英語版
庶民院議員(ウォリック選挙区英語版選出)
1727年 – 1735年
同職:サー・ウィリアム・ケイト準男爵英語版
次代:
トマス・アーチャー
ヘンリー・アーチャー英語版
先代:
ジョージ・クラーク英語版
コーンベリー子爵英語版
庶民院議員(オックスフォード大学選挙区英語版選出)
1737年
同職:コーンベリー子爵英語版
次代:
コーンベリー子爵英語版
エドワード・バトラー



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