イヴ2世 (ソワソン伯)とは? わかりやすく解説

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イヴ2世 (ソワソン伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 03:48 UTC 版)

イヴ2世
Yves II
ソワソン伯
在位 1141年 - 1178年

死去 1178年
配偶者 ヨランド・ド・エノー
家名 ネール家
父親 ラウル1世・ド・ネール
母親 レイントルード・ド・ウー=ソワソン
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イヴ2世(Yves II, ? - 1178年)は、ネール領主ラウル1世とレイントルード・ド・ウー=ソワソン(ソワソン伯ギヨーム・ビュザックの娘)の息子。ネール領主、ソワソン伯(在位:1141年 - 1178年)。ソワソン伯ルノー3世の死後、ソワソン司教ジョスラン・ド・ヴィエルジーによりソワソン伯の継承者として選ばれた[1][2]

生涯

1146年にヴェズレーにおいてクレルヴォーのベルナールが説教を行った後、イヴはフランス王ルイ7世や多くのフランス貴族とともに第2回十字軍に参加した[3]。イヴは1148年6月にアッコで行われた十字軍会議の一員であり、1149年にアンティオキア女公コンスタンスの最初の夫レーモン・ド・ポワティエが亡くなった後、コンスタンス女公に求婚した多くの求婚者の1人であった[4]

イヴはエノー伯ボードゥアン4世とその妻アリス・ド・ナミュールの娘ヨランドと結婚した[5]。2人の間には子供がいなかった。

イヴの死後、甥のコノンがソワソン伯となった[6]

脚注

  1. ^ Bisson 1995, p. 21.
  2. ^ Slack 2001, p. 75.
  3. ^ Bradbury 2007, p. 154.
  4. ^ Hodgson 2007, p. 221.
  5. ^ Gislebertus of Mons 2005, p. 40.
  6. ^ Gislebertus of Mons 2005, p. 35.

参考文献

  • Bisson, Thomas N., ed (1995). Cultures of Power: Lordship, Status, and Process in Twelfth-Century Europe. University Pennsylvania Press 
  • Bradbury, Jim (2007). The Capetians: Kings of France 987-1328. Hambledon Continuum 
  • Gislebertus of Mons (2005). Chronicle of Hainaut. The Boydell Press 
  • Hodgson, Natasha R. (2007). Women, Crusading and the Holy Land in Historical Narrative. The Boydell Press 
  • Slack, Corliss Konwiser (2001). Crusade Charters, 1138-1270. Arizona Center for Medieval and Renaissance Studies 
先代
ルノー3世
ソワソン伯
1141年 - 1178年
次代
コノン



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