イヴァン・ヤロスラヴィチとは? わかりやすく解説

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イヴァン・ヤロスラヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:17 UTC 版)

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イヴァン・ヤロスラヴィチ
Иван Ярославич
プロンスク公
リャザン大公
在位 プロンスク公:1299年 - 1308年
リャザン大公:1308年 - 1327年

出生 1299年
死去 1327年
子女 イヴァン(ru)
家名 リューリク家
父親 ヤロスラフ・ロマノヴィチ
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イヴァン・ヤロスラヴィチロシア語: Иван Ярославич1299年頃 - 1327年)は、14世紀初頭のルーシの公(クニャージ)である。プロンスク公:1299年 - 1308年、リャザン大公:1308年 - 1327年。

生涯

イヴァンはヤロスラフの子として生まれた。おそらく1308年に、従兄弟のヴァシリージョチ・ウルスによって殺害された後に、リャザン大公位を獲得したとみられる。ただし一説には、ヴァシリーの後を襲名したのではなく、ヤロスラフ・コンスタンチノヴィチの後を継いでリャザン大公となったとする説もある[1]。いずれにせよ、イヴァンは1320年に、モスクワ大公ユーリーリャザン大公国を攻撃した際のリャザン大公として名が記されている。

その後イヴァンは1327年に、ジョチ・ウルスによって殺害されるが、年代記はこの詳細を明らかにしていない。公位は息子のイヴァン(ru)が継いだ。

出典

  1. ^ Н.М. Карамзин.История государства Российского

参考文献

先代:
コンスタンチン・ロマノヴィチ
プロンスク公
1299年 - 1308年
次代:
?
先代:
ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ
リャザン大公
1308年 - 1327年
次代:
イヴァン・イヴァノヴィチ



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