イジョー・ミクローシュ
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イジョー・ミクローシュ
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Izsó Miklós | |
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セーケイ・ベルタランによる肖像画 (1860)
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生誕 | 1831年9月9日 現ハンガリー、イゾファルヴァ(Izsófalva) |
死没 | 1875年5月29日 (43歳没) 現ハンガリー、ブダペスト |
イジョー・ミクローシュ(Izsó Miklós、1831年9月9日[1] - 1875年5月29日[1])は、ハンガリーの彫刻家である。ハンガリーの民族的な人物像を制作した最初期の彫刻家になった。
略歴
ハンガリー北部、ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県の村、イゾファルヴァ(Izsófalva)で生まれた。1840年からシャーロシュパタク(Sárospatak)の学校で学ぶが1848年のハンガリー革命に参加し、負傷した。独立が失敗した後、イジョーは逃亡し、1851年から1856年の間は現スロバキアのリマソンバット(Rimaszombat)で暮らし、石工として働き彫刻家イシュトヴァン・フェレンツィ(István Ferenczy)の弟子になった。1856年にペシュトに移り、1年後にウィーンに移り、彫刻家のハンス・ガッサー(Hanns Gasser)の工房で働いた。1859年からはミュンヘン美術院で学んだ。ミュンヘンでハンガリー人々を題材にした彫刻を制作し、1862年に制作した羊飼いの像で評価された。詩人のアラニ・ヤーノシュや作曲家のベニ・エグレッシといった、同時代の有名なハンガリーの人物のモニュメントや胸像などを作るようになった。1870年から1872年の間は、ブダペストの高等学校(Toldy Ferenc Gimnázium)で教師を務め、1871年からは美術学校(Mintarajztanoda 後のハンガリー芸術大学)の教師を務めた。
肺結核のために43歳で亡くなった。
作品
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「悲しむ羊飼い」(1862)
ハンガリー国立美術館 -
ペテーフィ・シャーンドルのモニュメント
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詩人Mihály Csokonai
脚注
参考文献
- Izsó Miklós a Képzőművészet Magyarországon honlapon
- Izsó Miklós a Magyar életrajzi lexikonban
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