イザベル2世_(エルサレム女王)とは? わかりやすく解説

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イザベル2世 (エルサレム女王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/30 07:39 UTC 版)

イザベル2世 / ヨランド
Isabelle II / Yolande
エルサレム女王
神聖ローマ皇后
フリードリヒ2世とヨランドの結婚
在位 1212年 - 1228年4月25日
(エルサレム女王)
1225年11月9日 - 1228年4月25日
(神聖ローマ皇后)

出生 1212年
死去 1228年4月25日
シチリア王国アンドリア
埋葬 シチリア王国、アンドリア大聖堂
配偶者 フリードリヒ2世
子女 コンラート4世
家名 ブリエンヌ家
父親 ジャン・ド・ブリエンヌ
母親 マリーア
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イザベル2世(Isabelle II, Yolande de Brienne, 1212年 - 1228年4月25日)は、エルサレム女王(在位:1212年 - 1228年)。ヨランドともいわれる。エルサレム王ジャン1世エルサレム女王マリーアとの間の一人娘。西ヨーロッパのローマ皇帝フリードリヒ2世の2番目の皇后。

生涯

母エルサレム女王マリーアはモンフェッラート侯コンラート1世とエルサレム女王イザベル1世の長女で、1210年に十字軍に参戦して活躍したシャンパーニュの騎士ジャン・ド・ブリエンヌと結婚した。マリーアは1212年にイザベルを出産後、産褥熱で死去した。生後数日でイザベルはエルサレム女王として即位し、それまでマリーアと共同統治していた父ジャンはイザベルの摂政となった。

1222年にローマ皇帝フリードリヒ2世は、教皇ホノリウス3世の希望により女王イザベルとの結婚と十字軍への参加に同意した。イザベルとフリードリヒはアグネス・フォン・ヴァイプリンゲンを通して血縁関係にあり、この結婚は教皇の特免状を必要とした。1225年11月9日にイザベルはフリードリヒ2世と結婚し、フリードリヒ2世は結婚式当日からエルサレム王を名乗っている。1228年4月25日、イザベルは後のローマ王コンラート4世を産んだが、同日死去し、アンドリア大聖堂に葬られた。イザベルの死後、息子のコンラート4世がエルサレム王位を継承した。

参考文献

  • 成瀬 治 他 編 『世界歴史大系 ドイツ史 1』 山川出版社、1997年
  • A.ジョティンシュキー 『十字軍の歴史』 刀水書房、2013年



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