アンリ・ド・ロレーヌ (1661-1713)とは? わかりやすく解説

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アンリ・ド・ロレーヌ (1661-1713)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 16:23 UTC 版)

アンリ・ド・ロレーヌ
Henri de Lorraine
ブリオンヌ伯
ブリオンヌ伯アンリ、作者不詳の銅版画

出生 (1661-11-15) 1661年11月15日
死去 (1713-04-26) 1713年4月26日(51歳没)
フランス王国ヴェルサイユ
配偶者 マリー・マドレーヌ・デピネー
子女 ルイ
マリー・ルイーズ
家名 ギーズ家
父親 アルマニャック伯ルイ・ド・ロレーヌ
母親 カトリーヌ・ド・ヌフヴィル
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アンリ・ド・ロレーヌHenri de Lorraine, comte de Brionne, 1661年11月15日 - 1713年4月26日)は、ブルボン朝時代フランスの大貴族家門ギーズ家の一員。ブリオンヌ伯。1677年から1713年まで一族が世襲する王室主馬頭(Grand écuyer de France)を務めた。

生涯

アルマニャック伯ルイと妻カトリーヌ・ド・ヌフヴィルの間の長男。1696年、ルイ14世王の嫡孫ブルゴーニュ公ルイに嫁ぐサヴォワ公女マリー・アデライードヴェルサイユ宮廷入りの先導役を務めた[1]。父の存命中に死去したため、父のアルマニャック伯爵位及び王室主馬頭の職は、息子ではなく末弟のシャルルに引き継がれた。

1689年12月23日にマリー・マドレーヌ・デピネーと結婚[2]、1男1女をもうけた。

  • ルイ(1692年 - 1743年) - ランベスク公
  • マリー・ルイーズ(1693年 - 1724年) - 「ブリオンヌ姫(Mademoiselle de Brionne)」

この他、ポテノー嬢(Mademoiselle Pothenot)という女性との間に非嫡出の息子が1人おり、「ブリオンヌ私生児(bâtard de Brionne)」あるいは「シュヴァリエ・ドルゴン(le Chevalier d'Orgon)」と呼ばれた。

引用・脚注

  1. ^ Spangler 2009, p. 40.
  2. ^ Spangler 2009, p. 118.

参考文献

  • Spangler, Jonathan (2009). The Society of Princes: The Lorraine-Guise and the Conservation of Power and Wealth in Seventeenth-Century France. Ashgate Publishing Limited 



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