アンヘル・ラフィタとは? わかりやすく解説

アンヘル・ラフィタ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:20 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はラフィタ第二姓(母方の)はカスティージョです。(Template:スペイン語圏の姓名
アンヘル・ラフィタ
名前
本名 アンヘル・ラフィタ・カスティージョ
Ángel Lafita Castillo
ラテン文字 Ángel Lafita
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1984-08-07) 1984年8月7日(36歳)
出身地 サラゴサ
身長 188cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 サラゴサB 63 (6)
2005-2008 サラゴサ 41 (1)
2007-2008 デポルティーボ (loan) 24 (3)
2008-2009 デポルティーボ 33 (8)
2009-2012 サラゴサ 91 (10)
2012-2016 ヘタフェ 84 (14)
2016-2017 アル・ジャジーラ 7 (0)
通算 343 (42)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年3月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンヘル・ラフィタ・カスティージョÁngel Lafita Castillo1984年8月7日 - )は、スペインサラゴサ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF(サイドハーフ、ウイング)。

経歴

レアル・サラゴサの下部組織出身。2005年8月28日のアトレティコ・マドリード戦でデビューした。2006-07シーズンは主力選手として、クラブのUEFAカップ出場権獲得に貢献した。2007年夏にデポルティーボ・ラ・コルーニャにレンタルされ、3試合連続得点などでUEFAインタートトカップ出場権の7位にはいるクラブを支えた。2008年、デポルティーボに完全移籍した。11月のレアル・ベティス戦で2得点するなど、好調なチームの中で得点源として活躍した。

2009年7月、サラゴサがいくらかの買い戻し金を支払ってラフィタを買い戻そうとしたが、デポルティーボは買い戻し金は350万ユーロに上るとしてサラゴサの金額を拒否した。8月29日のレアル・マドリード戦にはデポルティーボの選手として出場したが、移籍期間が終了した9月1日にはサラゴサ、デポルティーボともにラフィタを支配下登録選手として主張し、9月22日には裁判が行われた。9月17日にラフィタはサラゴサに到着してチームと合流し[1]。10月18日のラシン・サンタンデール戦で移籍後初出場した。

家族

叔父と父親と弟はプロサッカー選手である。叔父のフランシスコ・ビリャローヤレアル・マドリードデポルティーボ・ラ・コルーニャでプレーし、スペイン代表として1990年のイタリアW杯に出場した。父親のフアン・ラフィータ (Juan Lafita) はアンドラCFでプレーした。弟のナチョ・ラフィータスペイン語版もレアル・サラゴサの下部組織出身であり、SDウエスカなどでプレーした。

脚注

  1. ^ Lafita se entrenará esta tarde con el Zaragoza en La Romareda”. as.com (2009年9月17日). 2009年9月23日閲覧。




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