アルマン・ド・グラモンとは? わかりやすく解説

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アルマン・ド・グラモン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 16:59 UTC 版)

アルマン・ド・グラモン

アルマン・ド・グラモン(Armand de Gramont, 1637年 - 1673年11月29日)は、17世紀フランスの貴族。ギーシュ伯爵(Comte de Guiche)。

人物

アルマンは、グラモン元帥ことギーシュ伯爵アントワーヌ3世の息子で、母はリシュリュー枢機卿の姪である。また妹カトリーヌ=シャルロットはルイ14世の寵姫となっている。

アルマンはバイセクシャルであった。また、オルレアン公フィリップ1世の取巻きの1人であり、その中で最も美男子であったとされる。性格的には、虚栄心が強く傲慢で、無作法なところがあった。しかし、男女の性別にかかわりなく、アルマンの恋人となった者たちは彼を不問にするのであった。

アルマンはオルレアン公妃アンリエット・ダングルテールの愛人であったが、彼女と対立していたルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールに言い寄ったこともあった。しかし、アルマンはルイーズに対しては、ルイ14世を恋敵にしてまで争うほどの愛情を持っていなかった。1662年には、嫉妬深いアンリエット・ダングルテールと共謀し、ルイ14世とルイーズの中を引き裂こうとしたことが原因で宮廷を追放された。

その後、アルマンはポーランドのためにオスマン帝国と、イギリスのためにオランダと戦い、1669年にはフランスに帰国。1671年に宮廷に帰還した。1672年、アルマンはルイ14世や大コンデとともにネーデルラント継承戦争に参加した。その際、アルマンが率先してライン川を泳いで渡ったことで、全軍が彼に引き続いたという手柄を立てた。

ダルタニャン物語

アルマンは『ダルタニャン物語』の第2部及び第3部に登場する。第3部『ブラジュロンヌ子爵』の主人公であるラウル・ド・ブラジュロンヌの親友として活躍した。




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