Do 217 (航空機)
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Do 217
Do 217(Dornier Do 217 )は、ドイツのドルニエ社が開発し、第二次世界大戦中にドイツ空軍で運用された双発爆撃機。
Do 17の後継機として開発されたためDo 17と似た外観の機体だが、より近代化された機体であった。当初爆撃機として運用されたが、その後夜間戦闘機や偵察機としても使用され終戦まで活躍した。Do 215の拡大版であり同じエンジンを搭載していたが、詳細な部分は異なっていた。
開発歴史
最初の原型(Do217V1)は、1938年10月4日に初飛行したが、7日後に墜落事故を起こしてしまった。原因はエンジンのパワー不足によるものであり、Do217V1のエンジンは同時代の爆撃機に比べると明らかにパワーが不足していた。また、安定性も問題となっていたが、それは垂直尾翼の形状変更で解消された。
BMW 801エンジンを搭載してからパワー不足も解消され爆弾の搭載量も増大した。これによりDo 217はドイツ空軍爆撃機のなかで最大の爆弾搭載量を誇るようになった。
Do 217には急降下爆撃能力が求められていたために尾翼にダイブブレーキが装備される予定でいたが、初期型では十分な性能が得られずにDo 217E-2までダイブブレーキ機能は省略されていた。ダイブブレーキを装備した後期型でも、ブレーキの使用によって胴体後部に無理な負荷がかかったためブレーキを取り外した機体もあった。
Do217はハインケル He111やJu88よりはるかに大きい爆弾搭載量を持ち、最高速度でも優れていた。ハインケルHe177が完成するまではドイツ最大の爆撃機だった。
Do217は1943年9月、対艦誘導爆弾フリッツXで、イタリアの降伏後に連合軍側に移った戦艦ローマを撃沈した。Do217は1944年中頃まで使用されていた。
生産
Do217は1940年11月から1944年5月の間、Do217は3つのドルニエ会社によって製造されており、
- ドルニエ社フリードリヒスハーフェン工場
Dornier Friedrichshafen(DWF)316機
- ドルニエ社ミュンヘン工場
Dornier Munchen(DWM)985機
- 北ドイツ・ドルニエ・ヴェルケ社[注 1]
Norddeutsche Dornier-Werke(NDW)602機
合計1,905機のDo217が生産された。
- 1 Do 217 (航空機)とは
- 2 Do 217 (航空機)の概要
- 3 派生型
- 4 スペック
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